【第23号】シュレーディンガー博士の異常な愛情
いちです,おはようございます.
今週は物理学界きっての「モテ男」である,エルヴィン・シュレーディンガー博士をご紹介します.彼の名前はご存じなくても「シュレーディンガーの猫」という言葉は聞いたことがあるかもしれません.彼は物理学の地平を一気に押し広げ,また「分子生物学」という新しい学問の扉を開きました.
そんなシュレーディンガー博士の研究と,そして一風変わった私生活をお話していきたいと思います.
シュレーディンガー博士と猫
知的な眼差し,通った鼻筋,きりっと結ばれた口元…おちゃめな印象のあるアルベルト・アインシュタイン博士に比べると対照的とも言える典型的美男なのが,オーストリア出身の物理学者エルヴィン・シュレーディンガー博士です.
エルヴィン・シュレーディンガー
シュレーディンガー博士は「波動力学」という物理学の一分野を築き上げた天才物理学者です.
これは非常に小さな粒子,例えば「電子」に関わるものです.電子は小さな粒なのですが,粒であると同時に「波」の性質も持つのです.シュレーディンガー博士は,この波としての性質がどのようなものであるのか,具体的に言えばどのような数式に従うのかを考えて「シュレーディンガー方程式」という式を発見しました.
このシュレーディンガー方程式は電子や原子の世界で起こる自然現象を次々と説明することが出来ました.
電子や原子の世界では「Aが起こったからBが起こる」という確実なことが言えないのです.世の中は必然が積み重なって偶然が生まれていますが,その必然は電子や原子の世界の偶然が積み重なって生まれているのです.シュレーディンガー方程式は,この電子や原子の世界で起こる偶然の「確率」を予測するのに使えます.
シュレーディンガー博士がこの方程式を発表したのは1926年のことですが,実は大きな欠陥もありました.1905年にアルベルト・アインシュタインが発表していた「特殊相対性理論」を考慮していなかったのです.正確に言うと,シュレーディンガー博士は特殊相対性理論とも整合するように自身の理論の修正を試みたのですが,うまく行かないまま発表したのです.
とは言え,シュレーディンガー博士の発表は物理学の地平線を大きく拡げるものでした.
シュレーディンガー博士はまた「シュレーディンガーの猫」という思考実験によっても有名になりました.シュレーディンガー方程式は未来に起こることの「確率」を求めるものですが,当時の物理学者たちは,もし全ての条件がわかっていれば,未来に起こることは「確実に」予測できるはずだと考えていました.
例えば,1時間の間に1/2の確率で放射線を放出する原子があったとします.そこで,放射線を検知すると毒ガスを発生する装置を作って,箱の中にその原子と一緒に閉じ込めておきます.1時間後の箱の中は,空気だけの確率と,毒ガスが充満している確率が半々ということになります.新しい物理学ではこの状態を「重ね合わせ」と呼んで,両方の現象があり得る「入り混じった状態」であるとします.もちろん箱の蓋をあけてみれば毒ガスが充満しているかどうかはわかります.そこで,箱を開けることで,現象が「収束する」と考えるのです.
さて,この箱の中に猫がいたらどうでしょうか.1時間たって,蓋を開けなければ,猫は「1/2」死んでいるのでしょうか.蓋を開けるまで猫の生死は「概念的に無い」のでしょうか.未来予測はどうなってしまうのでしょうか.
というのが「シュレーディンガーの猫」という思考実験です.この実験は,物理状態の「重ね合わせ」をどう解釈したらいいのか,という問いになっています.
僕は高校生の頃,この思考実験を母に話したことがあります.母は「まあ!猫ちゃんになんてひどいことを!」と言って,思考実験どころではありませんでした.
シュレーディンガーの猫は,物理学的にはもう過去の問題なのですが,時々訳知り顔の哲学者がひっくり返します.こちらにも解説がありますので,よろしければお読みになってみて下さい.
ところで,シュレーディンガー方程式と特殊相対性理論との整合性問題は1928年に,イギリスの物理学者ポール・ディラックによって解決されました.1933年,シュレーディンガー博士はポール・ディラックとともにノーベル物理学賞を受賞しています.
モテ男
さて,そんなシュレーディンガー博士の独創性は研究だけでなく,私生活にも発揮されました.
彼は超モテ男だったんですよね.いや,ちょっと意味がわからないレベルで.
シュレーディンガー博士 (1892)
シュレーディンガー博士は1887年8月12日にウィーンで生まれています.ご実家は裕福で,一人息子だったそうなので,周囲の女性にいきなりモテモテだったようです.
ドイツ,オーストリア,スイスのドイツ語圏では,日本で言う小学校4年生を終えると「ギムナジウム」という学校に入学します.若きシュレーディンガー博士はギムナジウム在学中から天才ぶりを発揮するのですが,この頃からすでに「情事リスト」を作成しています.「見た目は子供,頭脳は大人」と言ったところでしょうか.世の中の大学教員とは逆ですね.
そんな若きシュレーディンガー博士,フェリチェ・クラウス (Felice Krauss) という女性と大恋愛をするのですが,フェリチェの母親に反対されて結婚は叶いませんでした.単にチャラいだけじゃないんですよ.彼は人生を捧げようと思って,一時期は学問の世界を断念しようとさえします.しかし,この想いを引きずったまま,彼は学問の世界へと戻ります.
シュレーディンガー博士 (1905)
1914年にヨーロッパで第一次世界対戦が始まると,彼の研究も中断します.しかし終戦後はイェーナ大学の物理学者マックス・ヴィーンの助手を努め,頭角を現し始めます.
シュレーディンガー博士は1920年,32歳のときに23歳のアンネマリー・バーテル (Annemarie Bertel) 通称「アニー」という女性と結婚します.アニーはシュレーディンガー博士にぞっこんに惚れ込み,食事の用意,病気の看病など彼に尽くします.それどころか,シュレーディンガー博士がアニーに性的関心を失うと,アニーは彼のために愛人探しまでしました.
ただ,当然といえば当然ですが,アニーも精神的に不安定だったらしく,シュレーディンガー博士とアニーの間はずっとギクシャクしていたようです.二人は結局は離婚しませんでしたが.
シュレーディンガー博士は大変優秀で,1921年,34歳でチューリヒ大学の教授になっています.大学の教員のランクは地域や時代によって異なるのですが,彼のポジションは正規の最高ランクのものでした.もし彼が現代のアメリカや中国にいれば「卓越教授」のランクを与えられていたことでしょう.
現代の日本では,大学の教員のランクは上から教授 (professor)・准教授 (associate professor)・講師 (lecturer)・助教 (assistant professor)・助手 (research associate) となっています.覚えにくいですね.日本らしく「大関」「関脇」「小結」「前頭」「十両」としてはどうでしょうか.なお大学によっては職位を飛ばしているところも多いですし,助手の下あるいは代わりに「副手」「教務補佐」「博士研究員」などを置いているケースもあります.ここらへんはまとめて「幕下」でしょうか.
1925年の年末と言いますからシュレーディンガー博士が39歳のときでしょう,彼は「波動方程式」を発見します.彼はクリスマスに「妻ではない女性」とスキー休暇に出かけ,本人曰く「エロスの爆発」により「波動方程式」を見つけるのです.この女性が誰かは,記録が失われているため永遠の謎です.
すこーしシュレーディンガー博士に同情すると,この良く知られたストーリーの裏には,彼の大きな苦悩もあったのですよね.シュレーディンガー博士は親友のアルベルト・アインシュタインによって見つけられていた「特殊相対性理論」と自身のシュレーディンガー方程式との整合性に悩みつつ方程式をいじりまわしていました.ここぞという答えにたどり着いたかに見えたのですが,導かれた結論がドイツの大先輩アルノルト・ゾンマーフェルト教授の式と一致しなかったため,どうやらふてくされてしまったようです.
結局「エロスの爆発」によって,修正なしのシュレーディンガー方程式の価値を確信したシュレーディンガー博士は休暇から帰って3週間で論文を書き上げ提出します.この論文はアルベルトに熱狂的に支持されました.
1927年にシュレーディンガー博士は,当時のドイツ最高の物理学者,マックス・プランク教授の後任としてベルリン大学に迎えられます.
1933年,ヒトラーが政権を掌握すると,ユダヤ人学者への弾圧に抗議してベルリン大学を辞職します.どうもこのときすでに,人妻ヒルデ・マーチ (Hilde March) と恋仲になっていたようです.翌年の1934年,シュレーディンガー博士が46歳のとき,ヒルデは女の子ルースを産みます.もちろん父親はシュレーディンガー博士でした.
ヒルデの夫はなんとシュレーディンガー博士の親しい同僚であったオーストリア人物理学者アルトゥール(アーサー)・マーチだったんですよね.そして,シュレーディンガー博士を大尊敬していたマーチ先生,なんとなんと,シュレーディンガー夫妻の家に転がり込みます.シュレーディンガー博士,奥さんのアニー,シュレーディンガー博士の愛人であり自分の奥さんでもあるヒルデ,シュレーディンガー博士とヒルデの間の娘ルースと一緒に住み始めるんです.
流石にこの状況はきつすぎたのか,一旦は解消されるのですが,ヒルデ母子は再びシュレーディンガー家に戻ります.あるとき,アニーは
競走馬と一緒に住むよりカナリヤと住む方が楽ですわね.でも私は競走馬と一緒のほうが好きよ.
と話したことがあるそうですが,本心だったのか強がりだったのか,あるいは諦めだったのかはわかりません.
ベルリン大学を去ったシュレーディンガー博士に,アメリカのプリンストン大学が「任期無し」のポジションを提示します.ところが彼は断ってしまいます.どうもアニーとヒルデの二人分のビザの要求が認められなかったようなんですね.実はその後,イギリスのエディンバラ大学に行こうとするのですが,やはりビザの発給が遅れに遅れます.
いやあ,プリンストン大学の任期無しポジションなんて学問の世界では最高の立ち位置でしょう.それを蹴ったシュレーディンガー博士,ある意味「信念の男」ですね.
一方で,アイルランド首相で自身も数学者だったエイモン・デ・ヴァレラからの誘いを受けて,シュレーディンガー博士は「ダブリン高等研究所」の設立のためにアイルランドへ渡ります.1939年のことでした.このとき,アイルランド政府はシュレーディンガー博士のために奥さん「二人分」と娘さんのビザを用意したそうです.[参考文献1]
…が,なんと,我らがシュレーディンガー博士はここでも二人の女性の間に二人の女の子を設けています.
1944年,シュレーディンガー博士は女優で,労働党に身を寄せる社会活動家でもあったシェイラ・メイ (Sheila May) と「うふふ」な関係になります.問題は,シェイラが気鋭の言語学者デイビッド・グリーンと結婚していたことでした.いや,シュレーディンガー博士も結婚していたんですが.しかも,二人と…
シェイラは女の子を妊娠したのですが,シュレーディンガー博士の愛情は冷めてしまいました.シェイラは夫にすべてを打ち明け,生まれてきた女の子は夫によって自分の娘として育てられました.ただし,シェイラ自身は夫の元を去っています.[参考文献2]
1945年,シュレーディンガー博士は赤十字のボランティアだった26歳のケイト・ノーラン (Kate Nolan) を口説きに口説いて,ついには二人の間に女の子が生まれます.この子はリンダと名付けられ,非公式ながらシュレーディンガー博士の養女になりました.もっとも,その後ケイトはリンダを連れ戻してしまったようです.歳の差を考えると,ちょっと大人げないかなあと僕も思っちゃいますが,どうなんでしょう.なお,ケイト・ノーランという名前は仮の名前とする報道もあります.
こうなるとシュレーディンガー博士を「ヨーロッパの種馬」と呼んでも差し支えないでしょう.彼の「情事リスト」には10代の女性の名前まであるそうです.[参考文献3]
ただし,シュレーディンガー博士の日記によると
Love is more important than sex.
なんだそうです.またこの緊張感が科学的創造性に必要だとも言っています.
わからんでもないですが.
いや,わかったら駄目です.
シュレーディンガー博士は1955年に定年退職し,翌1956年にオーストリアへ帰国して,母校であるウィーン大学の教授に就任します.
シュレーディンガー博士とアニー
1961年1月4日,シュレーディンガー博士はウィーンで亡くなります.73歳でした.その4年後にはアニーが亡くなり,夫婦でオーストリアのチロル州アルプバッハに埋葬されています.[参考文献4]
マーチ先生は?
ところで,シュレーディンガー博士のストーリーを追っても,彼と一緒に奇妙な同棲生活を選んだマーチ先生がどんな研究をしていたのかは触れられていないことが多いようです.というわけで,マーチ先生についても調べてみました.彼は1891年2月23日生まれなので,シュレーディンガー博士の4歳下ということになります.まず同世代と呼んで良いでしょう.
アルトゥール・マーチ
1929年,マーチ先生は29歳のヒルデ・ホルツハマー (Holzhammer) と結婚しました.
マーチ先生は37歳でインスブルック大学の准教授 (associate professor) になっていますが,その後イギリスのオックスフォード大学の客員教授も勤め,45歳でインスブルックの教授に昇格しています.
同時代の研究者で,本誌【第22号】でもご紹介したヴィルヘルム・レントゲンはさすが第1回のノーベル物理学賞を受賞されただけあって,30歳で教授になっていますが,マーチ先生も遅すぎるということはなさそうです.なおレントゲンは「教授になったら実験できへんようになったやんかぶーぶー」ということで,1年で教授を辞めて助教授に戻っています.レベルは違いますが,僕も助手(十両)を1年で辞めて博士研究員(幕下)になったことがあります.
マーチ先生の専門はシュレーディンガー博士と同じ分野で,とりわけ「時空間における最小の距離の探索」をテーマにしていました.空間における距離に関しては「最小の距離」というものがあることが知られています.それは発見者マックス・プランクに因んで「プランク長」と言って,およそ
0.000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,016m
です.プランク長は,これより短い距離は観測できないのではないか,という下限を示す値です.マーチ先生は,これを時間軸方向に伸ばしたらどうなるかということを考えられたのだろうと思うのですが,いかんせん原文がドイツ語で…いや,日本語訳があっても僕に理解できたかどうかはわかりませんが,ともかく,時空間における一番短い距離を理論的に求めようとしたのでしょう.
似たような単位として,アメリカの計算機科学者ドナルド・クヌースが考案した「スモールポイント(sp)」というものがあります.これは印刷でよく使われる単位1ポイント(pt)の1/65,536です.65,536というのは計算機科学者にとって「切りの良い」数字で,2の16乗(2↑16)です.この1スモールポイントのどこがプランク長と似ているのかといえば,事実上これが印刷における最小の長さの単位だからなのです.
1ポイントはおよそ0.35ミリメートル(350,000ナノメートル),そして1スモールポイントはおよそ5.4ナノメートルとなります.5.4ナノメートルといえば「X線」の波長で,人間の目が見られる可視光線の最小の波長がおよそ360ナノメートル前後,念の為紫外線まで入れても10ナノメートルまでなので,もう十分に細かいと言える長さなのです.
CPUメーカ「AMD社」は,次のCPU「ラファエル」を5ナノメートルで設計しているようです.CPUの製造は「超微細な印刷」と言えなくもないですから,時代がドナルド・クヌースに追いついてきたとも言えます.もちろんCPUの「印刷パターン」は人間の目には見えませんから,印刷物における長さの最小単位は1スモールポイントのままで良いのです.
生命とは何か?—X線とDNA
「シュレーディンガー方程式」は,シュレーディンガー博士の功績のまだ半分に過ぎません.[参考文献5]
彼は「生命とは何か?」という本を書いて,なんと「分子生物学」という新しい学問分野を切り開きました.本書の中で,シュレーディンガー博士は生物の「遺伝物質」が持つべき物理的性質について鋭い考察を加えていきます.衝撃的なのは,この本が書かれたのが1944年ということです.シェイラ…は横に置いておいて,次のことを聞かれたらきっと驚かれるでしょう.
DNAが遺伝物質であることが確定的になったのが1952年です.
DNAの構造がわかったのが1953年です.
つまり,シュレーディンガー博士は,当時の他の研究者たちも同じですが,遺伝物質が何なのかは知らなかったのです.
しかし,遺伝物質は非常に大きな情報を持つことから,ある種の巨大な分子であろうこと,310ケルビン(摂氏37度)という「高温」に耐えることから,自己複製を行うであろうことなどをシュレーディンガー博士は結論づけていきます.
本書を読んだ一人が,シカゴ大学の学生だったジェームズ・ワトソンでした.彼はなんと19歳で大学を卒業します.また,後にワトソンとイギリスで共同研究をすることになるフランシス・クリックも本書を読んでいました.[参考文献6]
ロザリンド・フランクリン, By The Editors of Encyclopaedia Britannica. "Rosalind Franklin, British Scientist," Encyclopaedia Britannica (article created 20 Jul 1998, accessed 29 Mar 2021)
運命の1953年,女性科学者ロザリンド・フランクリンはX線をDNAに照射して散乱パターンの写真を撮りました.後に有名になる「フォト51」という決定的な写真はこのときに,彼女と,彼女の学生であったレイモンド・ゴスリングによって撮られたものです.
この写真の重要性に気づいた生物学者モーリス・ウィルキンスは,それをクリックとワトソンに見せました.ウィルキンスはロザリンド・フランクリンとは仲が悪かったようで,後に本人も認めている通り,彼女に無断でクリックとワトソンにフォト51を見せました.
1962年,ジェームズ・ワトソン,フランシス・クリック,モーリス・ウィルキンスはDNAの構造決定に関して,ノーベル生理学医学賞を与えられています.「フォト51」を撮影したロザリンドは受賞しませんでした.彼女は1958年に37歳という若さで亡くなったので受賞機会は無かったのですが,DNAの構造決定に関して男性中心の学術界が彼女の役割を無視しがちであったことから,ロザリンドはフェミニズムのアイコンへとなっていきます.[参考文献7]
またジェームズ・ワトソンがひどい差別主義者であったことも,1962年のノーベル生理学医学賞を苦いものにしています.彼は2000年頃から差別発言を繰り返し,自身の名声を地に落とします.2014年にはノーベル賞メダルを競売にかけますが,売上を大学に寄付をしていわゆる「レピュテーション・ロンダリング」(評判洗浄)をしたかったのではないかと言われています.(本人は「収入を絶たれたため」と主張しています.)
科学者の世界も泥沼ですね.
少しは明るい話題もあります.2008年,アメリカのコロンビア大学は権威ある「ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞」をロザリンドへ贈っています.
さて,ワトソンとクリックに多大な影響を与えた,シュレーディンガー博士の「生命とは何か?」の序文はこのように始まります.
…科学者は自分が十分に通暁していない問題については,ものを書かないものだと世間では思っています.…このたびは,私はとにかくこの身分を放棄して,この身分につきまとう掟から自由になることを許していただきたいと思います.これに対する私の言いわけは次のとおりです.
われわれは,すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする熱望を,先祖代々受け継いできました.学問の最高の殿堂に与えられた総合大学 (university) の名は,古代から幾世代もの時代を通じて,総合的な姿こそ,十全の信頼を与えられるべき唯一のものであったことを,われわれの心に銘記させます.しかし,過ぐる100年余りの間に,学問の多種多様の分岐は,その広さにおいても,またその深さにおいてもますます広がり,我々は奇妙な矛盾に直面するに至りました.…
この矛盾を切り抜けるには(われわれの真の目的が永久に失われてしまわないようにするためには),われわれの中の誰かが,諸々の事実や理論を総合する仕事に思い切って手をつけるより他には道がないと思います.たとえその事実や理論の若干については,又聞きで不完全にしか知らなくとも,また物笑いの種になる危険を冒しても,そうするより他には道がないと思うのです.
これがそのまま,僕がこのニュースレターを書く理由になっていたので,引用させていただきました.より長い引用を,僕のブログに書かせていただきました.
おすすめ書籍
女嫌いで喧嘩好きだったニュートン,女癖が悪かったアインシュタイン,現代数学をつくった不遇の天才ガロアは恋愛沙汰で決闘死,蘇る愛とロマンに生きたシュレーディンガー……歴史に残る偉大な科学者たちの人生は,強烈すぎて面白すぎる!偉大すぎてダメすぎる巨人たちの激烈な人生を,その人間くさい素顔とともに,人気サイエンスライターコミカルに紹介.こんな偉人伝、読んだことがない!
実は過去2回,この本へのリンクを本ニュースレターに貼っていました.今回,満を持してご紹介します.
本書は歴史上の天才科学者たちの「私生活」とりわけ「女性関係」にスポットライトをあてたものです.
この本に取り上げられた天才たちの名前を見てみましょう.アイザック・ニュートン(物理学者,英),チャールズ・ダーウィン(生物学者,英),エヴァリスト・ガロア(数学者・革命家,仏),アンリ・ファーブル(博物学者,仏),アルフレッド・ノーベル(化学者,スウェーデン),南方熊楠(博物学者,日),アルベルト・アインシュタイン(物理学者,米),ニールス・ボーア(物理学者,デンマーク),エルヴィン・シュレーディンガー(物理学者,オーストリア),ハンフリー・デーヴィ(化学者,英),マイケル・ファラデー(化学者・物理学者,英国),ヴォルフガング・パウリ(物理学者,スイス),ヴェルナー・ハイゼンベルク(物理学者,ドイツ),アントワーヌ・ラヴォアジェ(化学者,仏),ニールス・アーベル(数学者,ノルウェー),ロバート・オッペンハイマー(物理学者,米),リチャード・ファインマン(物理学者,米).
凄まじい人数ですね.その一人ひとりが本当に面白いんです.読み始めたら,眠れなくなりますよ.
今号のシュレーディンガー博士の私生活の部分は,この本の「シュレーディンガー」の章に大部分を負っていますが,本書では省略されていた女性たちの旧姓などは別の資料から拾い直しました.また時期の不整合に関しては,複数のソースにあたり可能な限り修正しました.
おすすめTEDトーク
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性別が正確に機能する仕組みは?生物学者のカリッサ・サンボンマツは染色体のことだけではないと言います.洞察力に満ちた講演の中で,エピジェネティクス分野の新発見,外傷や食物などの社会的要因でDNA活性がどのように永久的に変わるか,新たな研究をお話しします.人生経験が遺伝子の表現を変える機序と,性別を理解する意味を学びましょう.
「女性であるということはどういうことでしょう?XX染色体を持っているということですよね?実は,それは間違いです.」カリッサはこう言います.
彼女は,遺伝子がまったく同じなのに,姿が異なる現象を調べていきます.彼女の驚きのTEDトークを,是非ともご覧になって下さい.
Q&A
匿名質問サイト「マシュマロ」および実名質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.
今週は本文がかなり長くなってしまったので,Quoraで写真1枚でお返事した回答からご紹介したいと思います.
これこそ猫! という、あなたが撮影した猫写真をご紹介いただけないでしょうか?
「僕の家にゃっ!」(国宝大浦天主堂)
こちらの匿名質問サイトで質問を受け付けています.質問をお待ちしております.
振り返り
このニュースレターでは「振り返り」動画を公開しています.今週は「ピラミッドのレントゲン写真」についてお話をさせていただきました.
動画の音声だけを切り出してポッドキャストにもしています.
是非お楽しみください.
あとがき
今週はシュレーディンガー博士を特集させていただきました.シュレーディンガー博士はこんな事も言われているんですよ.
私とベッドをともにした女性がその結果,生涯私と一緒に暮らしたいと願わなかったことはない
す,すごい…
本誌【第7号】のあとがきでご紹介したアルベルト・アインシュタインの「女癖」も大概でしたが,シュレーディンガー博士と比べるとアルベルトもまだ「お子ちゃま」でしょう.なお,二人は世代も近く,良き友人だったそうなのですが,女のことで争った形跡はありませんでした.好みが正反対だったのでしょうか.
今週も最後までお読みいただきありがとうございました.今週から「読んだよ!」ボタンを設置させていただきます.是非ぜひ,押して行ってくださいね.(ボタンは匿名化されています.集計したデータはこのニュースレターの内容改善以外には用いません.)
では,また来週,お目にかかりましょう.
参考文献
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Erwin Schrödinger in Dublin: Physicist, womaniser, fugitive; The Irish Times, 2018.
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The improbable Irish love life of Erwin Schrödinger; Independent.ie, 2012.
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Adhemar Bultheel: Schrödinger, Life and Thought; Blog post of European Mathematical Society, 2016.
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中村桂子: DNAの二重らせん構造—20世紀最大の発見は21世紀に何をもたらすか—; 高分子, 56, 1, 2007.
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福岡伸一: 隠された科学者—ロザリンド・フランクリン—; サイエンスネット, 数研出版, 31, 10-13, 2019.
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発行者:いち(金谷一朗)
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