ブルーの歴史【第31号】

いつの時代もアーティストを魅了してきた青顔料(ブルー)と化学者たちのお話
金谷一朗(いち)
2021.07.02
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【140字まとめ】いつの時代もアーティストを魅了してきた青顔料(ブルー)は,化学者たちの挑戦の結晶でもあります.この号ではフェルメールのブルー,エジプトのブルー,広重のブルー,藍染,呉須,あの国宝の青,そして最先端の「ブルーティフル」まで取り上げます.最後にちょっと珍しい「ブルー」の使い方も.

いちです,おはようございます.

今を遡ること12年前の2009年,およそ80年ぶりに新しい「ブルー」が発見されました.この新しいブルーは「インミン・ブルー」と呼ばれています.本誌【第15号】で少しだけ触れたこの新しいブルーについて,本号では深堀りしていきたいと思います.

人類が見たブルー

人間の目には2種類の細胞が備わっています.ひとつは杆体(かんたい)で,もう一つは錐体(すいたい)です.杆体はお菓子の「ポッキー」の形をしており,錐体は「たけのこの里」の形をしています.ポッキーの方は暗闇でものを見るための細胞で感度が高いのですが,色を識別することが出来ません.たけのこの里のほうはさらに L, M, S の3種類あり,それぞれが固有の色,赤,緑,青を識別するのですが,暗闇ではうまく働きません.

哺乳類のほとんどはM錐体(たけのこの里)を持っていないため,2種類の色しか区別できません.人間の場合も日本人男性の5パーセント程度,白人男性の8パーセント程度がM錐体を持っていないと見られ,彼らの色覚から,2種類の色とは黄色と青(ブルー)だということがわかっています.マーク・ザッカーバーグもまた赤と緑が見えないため,自身の創設したFacebookのテーマカラーをブルーにしたと「ニューヨーカー」誌に語っています.[参考文献

生理学の知見から,またアイザック・ニュートンが発見し,写真技術者やTV技術者が再発見したとおり,黄色は人間の多数派にとって根源的な色ではありません.一方でブルーはほぼすべての人にとって根源的な色と言えるでしょう.ブルーは空や遠くの山,海に見られる,ユニバーサルな「背景色」と呼んでも差し支えないかもしれません.

Photo by <a href="https://unsplash.com/@vixenly?utm_source=unsplash&utm_medium=referral&utm_content=creditCopyText">Kym MacKinnon</a> on <a href="https://unsplash.com/s/photos/blue-night-moon?utm_source=unsplash&utm_medium=referral&utm_content=creditCopyText">Unsplash</a>
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なお杆体(ポッキー)は色覚に影響を与えないとされてきましたが,月明かりの環境ではわずかながらブルーの色覚を人間に与えるそうです.この現象は「ブルーシフト」と呼ばれています.現代の都会ではブルーシフトを体験することは不可能だと思いますが,古代の人々は頻繁に体験していたかもしれません.また工業化される前の日本人は青く自発光する「海蛍(うみほたる)」を日常的に見ていたかもしれません.古代の人々はブルーを神秘的な色と捉えていたかもしれませんね.[参考文献

古代エジプトのブルーとフェルメールのブルー

自然界にはいくらでもあるブルーですが,いざ絵や装飾品にしようとすると,入手が困難なことに気づきます.現代でもブルーを示す顔料は他の顔料よりも高価です.例えば「リキテックス」社のアクリル絵の具の価格を見てみましょう.代表的なブルーである「コバルト・ブルー」は,代表的な黄色である「イエロー・オキサイド」の2.4倍の値段が付けられています.顔料の採掘,合成技術や物流が格段に良くなった現在でさえ価格差があるのです.古代の人々がブルーを手に入れるために,どれだけの苦労をしたのかが想像できますね.

古代エジプトの王たちは,ブルーに輝く石「ラピスラズリ」を大変に珍重しました.ラピスラズリは当時アフガニスタンだけで産出していたため,長い交易路を経てエジプトに運ばれていました.ラピスラズリは日本語では「瑠璃(るり)」と言います.

アフガニスタンからエジプトまでグーグルマップで経路を検索してみた
アフガニスタンからエジプトまでグーグルマップで経路を検索してみた

ラピスラズリを粉末にしたブルーである「天然ウルトラマリン」は現代に至るまで非常に高価であり続けています.ラピスラズリは地中海,つまりマリンを超えてヨーロッパへやってきたので,ウルトラマリンと名付けられたわけですね.また産地に近いペルシャでよく用いられたことから「ペルシアン・ブルー」とも呼ばれました.

フェルメール:牛乳を注ぐ女 (1657-1958), ウルトラマリン使用
フェルメール:牛乳を注ぐ女 (1657-1958), ウルトラマリン使用

17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールは実家が裕福だったため,当時ゴールドと同価値だったウルトラマリンをふんだんに使った絵を制作しました.そのためウルトラマリンは「フェルメール・ブルー」と呼ばれることもあります.ただ,フェルメールは晩年金策に苦労したようで,42歳または43歳という若さで亡くなっています.

さて,話を古代エジプトに戻しましょう.エジプトの王たちは人工的にブルーを生産することに報奨金を出したようで,実際に職人たちが「エジプシャン・ブルー」と呼ばれる顔料の製造に成功しています.現在知られている最古のものはおそらく紀元前3250年のもので,中王国時代(紀元前2050年から紀元前1642年)には盛んに用いられるようになります.

エジプト人たちはこの合成されたブルーを「合成ラピスラズリ」と呼んだようですが,古代ローマ人たちによって名付けられた「セルリアン」のほうが有名な名前でしょう.このセルリアン・ブルーですが,ローマ時代が終わるとの製法も徐々に失われていきました.

ラファエロ:ガラテイアの勝利 (1512), エジプシャン・ブルー使用
ラファエロ:ガラテイアの勝利 (1512), エジプシャン・ブルー使用

エジプシャン・ブルーはシリカ(二酸化ケイ素),石灰,銅,アルカリから作られます.ローマにあるアカデミア・デイ・リンチェイ,和訳すると「山猫学会」という楽しげな名前ながら由緒ある学会のメンバーであるアントニオ・スガメロッティ教授によると,15から16世紀イタリアの画家,ラファエロ・サンティはフレスコ画「ガラテイアの勝利」を描くためにエジプシャン・ブルーの製法を再発明しています.失われた「ブルー」を再現してみせたかったのでしょうね.[参考文献1参考文献2

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