冒険する科学者オーギュスト・ピカール【第122号】

1️⃣19世紀のスイスに生まれたオーギュスト・ピカールは「冒険する科学者」でした
2️⃣オーギュストは気球によって世界ではじめて「成層圏」へ到達した人物です
3️⃣オーギュストの情熱はより困難な深海へも向かいました
金谷一朗(いち) 2023.03.24
誰でも

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いちです,おはようございます.

写真機が発明された日の肖像画家の気分はこのようなものだったでしょう.あるいは,リズムボックスが音楽スタジオに納品された日のドラマーも,きっと同じ気分だったでしょう.

岡田有花記者によると,今度はライター業が悲鳴を上げる番のようです.会話AIのChatGPTは,人間が「プロンプト」と呼ぶ質問を投げかけると自然な言葉で返信してくれるのですが,ここ数週間でちょっとした小論文が書けるぐらいにまでバージョンアップしています.それどころか,結城浩先生との知的な会話さえ可能なようです.

ニュースレターもいずれ,皆様へ「プロンプト」を送るだけのメディアになるかもしれませんね.僕は逆に,毎週プロンプトを送ってくれるサービスが欲しいです.ニュースレターのテーマを選ぶのに毎週頭をひねっていますので.

オーギュスト・ピカール
オーギュスト・ピカール

さて,今日,3月24日はスイスの科学者オーギュスト・ピカール(Auguste Piccard)の命日なんです.もし名前を知らなくてもどうか心配しないでください.彼はノーベル賞を受賞したわけではありませんし,同時代の科学者アルベルト・アインシュタインに比べればどうしても無名の存在なのです.

それでも彼は,このSTEAM NEWSで取り上げるべき科学者なのです.彼は科学のために命をかけて冒険をしたのですから.

【お知らせ】今年のTEDカンファレンス「TED2023: Possibility」からいくつかのトークをオンラインで共有するYouTubeライブ「TEDxDejima Live」を4月29日に実施します.ご関心のある方は事前申し込みをお願いいたします.

📬 STEAM NEWS は国内外のSTEAM分野(科学・技術・工学・アート・数学)に関するニュースを面白く解説するニュースレターです.

《目次》

  • 双子の弟として

  • 成層圏へ

  • 深海へ

  • 今週の映画

  • 今週のTEDトーク

  • Q&A

  • 一伍一什のはなし

双子の弟として

オーギュスト・ピカールは1884年1月28日,双子の弟としてスイス,バーゼルに生まれました.兄のジャン・フェリックスとは一卵性双生児でそっくりだったそうなのですが,弟オーギュストは左利き,兄ジャン・フェリックスは右利きということで,母親は二人を見分けていたそうです.

ハリー・ポッターに出てくる魔法使いの双子,フレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリーも一卵性双生児で,母親のモリーはときとして二人を見間違える描写があったのですが,オーギュストとジャン・フェリックスの母親は見間違えなかったのですね.

オーギュストはチューリッヒ工科大学で学んだ後,38歳でベルギーのブリュッセル自由大学の教授に就任します.

成層圏へ

そして1931年,オーギュストは人類ではじめて地球の上空「成層圏」へと到達します.

成層圏とはどのあたりでしょうか.

少し解説しますね.

地球の上空は,地面の近くから対流圏,成層圏,中間圏,熱圏,外気圏と重なっています.つまり,地球の空気はミルフィーユのように積み重なっていると思ってよいわけですね.

一番地上に近い対流圏というのは,地上から上空およそ1万メートルぐらいまで.ここらへんまでがぎりぎり空気があるというエリアで,民間のジェット航空機の最大高度もこのあたりです.

世界最高峰のエベレスト(別名チョモランマ,サガルマータ)の標高が8,850メートルですから,人類は歩いて対流圏を抜けることはできませんし,先ほどお伝えしたように,民間のジェット航空機でも対流圏を抜けることはできません.

対流圏というのは,地上の大気がぐるぐるまわる,つまり対流するから名付けられた圏です.とは言え,対流圏の上限あたりの気圧は地上の1/5,0.2気圧ぐらいになっています.ジェット機は燃料を燃やすのにある程度濃い空気が必要なので,この高度以上には飛べないわけですね.

この対流圏を抜けた先にあるのが成層圏です.成層圏の存在は,フランスの気象学者レオン・ティスラン・ド・ボール,ドイツの気象学者リヒャルト・アスマンらによって,19世紀末から20世紀初頭にかけて発見されました.発見の方法は今とさほど変わっていません.つまり,無人気球に観測機器を搭載して上空へ飛ばしたのです.21世紀の現在でも,無人気球は有効な観測手段です.

しかし,オーギュスト・ピカールは,自ら成層圏へ行ってみたいと思ったのでした.1930年のことです.後の宇宙ロケットにつながる世界初の弾道ミサイルの発射が1944年,人類初の有人宇宙飛行が1961年ですから,オーギュストの想像力と行動力は凄まじいものがありますね.彼が成層圏を目指したモチベーションのひとつに,同時代のアルベルト・アインシュタインの仮説が正しいかどうかを確かめるということもあったようです.

オーギュストは気球に吊り下げる特別なゴンドラ,FNRS-1号を設計します.ゴンドラは内外の気圧差に耐えられるように球形にデザインされ,半分が白に,もう半分が黒に塗り分けられました.計算の上では,日があたって暑くなってきたら白い半分を太陽へ向けて,ゴンドラの温度上昇を抑えるというものでした.もっともこの仕組はうまく行かず,2回めのフライトからは全面白塗装になりました.

またゴンドラは当時まだ珍しかったアルミニウムで作られたのですが,加工技術を持っていたのがビール工場しかなかったため,ビール工場で製造されました.

FNRS-1号の前に立つオーギュスト・ピカール家族とポール・キプファー(左).特製のヘルメットを装着している.
FNRS-1号の前に立つオーギュスト・ピカール家族とポール・キプファー(左).特製のヘルメットを装着している.

1931年,オーギュストは同僚のポール・キプファー(Paul Kipfer)とともに上空1万5,781メートルに達しています.彼らは人類ではじめて成層圏に到達しました.このフライトでは,空気漏れや水銀の漏出などいくつもの致命的な事故がありましたが,二人の機転によって乗り越えています.空気漏れはワセリンで塞ぎ,アルミニウムを溶かす恐れのある水銀は気圧差を利用してゴンドラ外へ放出しました.ほんと,宇宙戦艦ヤマトの真田さんです.

1932年にはふたたび成層圏を目指し,上空1万6,201メートルに到達しています.この年には48歳になっていますから,人間何歳になっても挑戦できるものですね.彼はその後も挑戦を続け,上空1万8,600メートルの浮上記録を持っています.

深海へ

1930年代後半,オーギュストの情熱は深海へと向かい始めます.空気のない成層圏へ行けるのなら,同じく空気のない深海へも行けるということでしょうか.

オーギュスト・ピカールのゴンドラは,内部が1気圧,外部が0気圧に耐えられるように設計されていました.しかし海中となると話が違います.海中ではおよそ10メートル降下するごとに水圧が1気圧高くなります.水深100メートルでは,およそ10気圧がかかります.

トリエステ号
トリエステ号

オーギュストは水深1,000メートルつまり100気圧にも耐えられるような深海探査艇「バチスカーフ」を設計しました.彼はバチスカーフとしてFNRS-2号,同3号,そしてトリエステ(Trieste)号を設計します.トリエステ号は1957年にアメリカ海軍の所有となります.トリエステ号はなんと,1,000気圧に耐えるように設計されました.今度はアルミニウムではなく,ドイツ・クルップ社の鋼が使われました.

トリエステ号内部のドン・ウォルシュ(左)とジャック・ピカール(中央)
トリエステ号内部のドン・ウォルシュ(左)とジャック・ピカール(中央)

1953年,オーギュストは息子にして,トリエステ号の共同設計者ジャック・ピカールとともにトリエステ号に乗り込み,人類未踏の水深3,150メートルまで潜っています.70前後の父ちゃんが30前後の息子を連れて冒険するわけですから,マンガみたいな展開ですね.

1960年,トリエステ号は知られている限りもっとも深い場所,マリアナ海溝チャレンジャー海淵の海底に到達しました.水深は1万911メートルでした.搭乗していたのは,アメリカ海軍の科学者ドン・ウォルシュと,オーギュストの息子ジャックでした.ジャックは82歳になるまで,深海の探検を続けたそうです.絶対父ちゃんの影響ですよね.

ジャックの息子,オーギュストの孫にあたるベルトラン・ピカールもまた冒険家で,気球による世界初の無着陸世界一周飛行を達成しています.

ちなみに,オーギュストのお兄さん,ジャン・フェリックスはアメリカへ渡って化学の教授になったのですが,やはり気球野郎で,クラスター気球を発明しています.彼は勤務先のシカゴ大学の学生ジャネットと結婚するのですが,彼女も夫に感化されたのか気球冒険家になり,高度1万7,500メートルの上昇記録を達成しました.

オーギュストとジャン・フェリックスを主人公に「気球兄弟」みたいなマンガができそうですね.AI絵師にお願いしたら描けるかしら……

1962年3月24日,オーギュスト・ピカールは78歳で亡くなります.ソ連のユーリイ・ガガーリン少佐による宇宙飛行が1961年で,ソ連は大宣伝をしましたから,オーギュストの耳にも入っていたことでしょう.きっと,胸踊らせたのでしょうね.

今週の映画

映画監督のジェームズ・キャメロンは子供の頃,深海を探検するのが夢だった.本作はそんな彼の夢を見事に叶えた作品だ.深さ約1万1000メートルのマリアナ海溝の単独潜行をすべく,キャメロンが自身で設計した潜水艇に乗り込み深海を探索する姿を追う.
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映画「アバター」やもはや伝説の映画「ターミネーター」シリーズの監督,ジェームズ・キャメロンは,深海への冒険者でもあります.彼はディープシーチャレンジャー号で,トリエステ号に続いて史上2番めとなる有人の海底到達を実現しています.

ぜひ映像でも御覧ください.

今週のTEDトーク

TED
TED
ジェームス・キャメロンの大予算な(そしてそれ以上に利益をあげる)映画は,それぞれが独自の世界を作り出します.彼はこの私的な話の中で,子供の頃に感じたSFやダイビングの魅力が,いかに彼を「エイリアン」「ターミネーター」「タイタニック」や「アバター」の成功に導いたかを明かします.
TED

こちらは17分の動画です.こちらもぜひ併せて御覧ください.

Q&A

匿名質問サイト「マシュマロ」および質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.

今週はこちらの質問から.

カッコいい切り返しを見たことはありますか?
Quora

格好いいです.

このレターの最後に匿名質問サイトへのリンクを貼っています.質問をお待ちしております.

一伍一什のはなし

今日,僕たちの研究室(madlab)の一期生たちが卒業します.

大学からコロナ対策で「二次会禁止令」がまだ出ていますので,今日は大学で卒業生たちを静かに見送ります.

実は週明け早々に,学生たちを連れてちょっとおもしろいバーに行きました.二次会禁止なので,最初からバーです.つまり一次会です.長崎には幸い「締めはおむすび」というすニャらしい文化があるので,食事抜きでバーに行くのもありです.

笑気ガスや液体窒素を使った少し変わったカクテルを頂いてきました.いつかニュースレターでも,科学技術とお料理の話題をお届けしたいなあと思いました.

🍓

今週も最後までお読みいただきありがとうございます.メールでお読み頂いた皆様は,よろしければボタンを押して行ってくださいませ.(ボタンは匿名化されています.集計したデータはこのニュースレターの内容改善以外には用いません.)

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では,また来週,お目にかかりましょう.

【謝辞】本ニュースレターは「STEAMボート」乗組員(STEAM NEWSサポートメンバー様)のご支援でお届けしております.乗組員の皆様に感謝申し上げます.

***

ニュースレター「STEAM NEWS」

金谷一朗(いち)

TEDxDejima Studioファウンダー・パイナップルコンピューター代表・長崎大学情報データ科学部教授

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