リーゼ・マイトナー【第91号】
【140字まとめ】女性物理学者リーゼ・マイトナーは,19世紀に女性として生まれたことで教育機会を失いました.またユダヤ人として生まれたことで祖国を追われ,科学への多大なる貢献にもかかわらずノーベル賞選考委員会から無視されました.それでもなお,彼女は最高の物理学者と考えられています.
STEAM NEWS はメールで毎週届くニュースレターです.国内外のSTEAM分野(科学・技術・工学・アート・数学)に関するニュースを面白く解説するほか,今週の書籍,TEDトークもお届けします.芸術系や人文系の学生さんや教育関係者の方,古代エジプト好きな方にとくにおススメです.
いちです,おはようございます.
「絵を描くAI」と呼ばれる「Midjourney」というサービスを使った「神絵」が次々と発表されています.いやあ,これすごいですね.そのうち,トピックを入力するとニュースレター本文が出てくるようなAIもできるのでしょうね.

リーゼ・マイトナー
さて,今週のトピックはオーストリア出身の女性科学者「リーゼ・マイトナー(Lise Meitner)」です.彼女は女性の教育機会がほとんど無かった19世紀ヨーロッパに生まれ,20世紀のナチス政権下で祖国を追われました.彼女は「核分裂」という近代物理学を根底から覆す現象を発見したにもかかわらずノーベル賞選考委員会から無視され,その一方アメリカからは「原爆の母」と誤解されました.
彼女は自伝を書かれることを決して認めなかったのですが,彼女の業績を調べていくうちにどうしても書きたくなったので,こうして書いておくことにしました.僕が書かなくても,AIが「科学」の伝記をまとめたときに,彼女を無視できないでしょうから.
【お知らせ】ツイッターで「STEAMコミュニティ」を運営しています.ときどき裏話をつぶやいています.ツイッターアカウントをお持ちの方は是非ご参加ください.
《目次》
-
19世紀ヨーロッパに女性として生まれるということ
-
ベルリンでの研究,運命的な出会い,そして亡命
-
ノーベル賞と裏切り
-
80代の恋と長生きの秘訣
-
109番元素マイトネリウム(Mt)
-
今週の書籍
-
今週のTEDトーク
-
Q&A
-
一伍一什のはなし

19世紀ヨーロッパに女性として生まれるということ
リーゼ・マイトナーは1878年11月7日に,オーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンで生まれました.彼女はユダヤ人家庭の8人兄弟のうちの3人目でした.家はユダヤ教でしたが,彼女は1908年にプロテスタントへ改宗しています.
今では想像もつかないことでしょうが,当時のヨーロッパでは,女の子に教育は不要であるどころか有害であるとさえされていました.実際彼女の学校生活は14歳まででした.
もっと意外なことに,19世紀のヨーロッパでは「物理学者」の地位がうんと低かったのです.20世紀の初めにアルベルト・アインシュタインが「近代物理学」の扉を開いて「ラプラスの悪魔」を追い出すまでは,物理学は歴史学と同じ扱いを受けていました.あ,これは日本の経済学と同じかもしれませんね……
1901年,23歳のリーゼにも大学の入学資格が与えられました.そして彼女は試験に合格し,ウィーン大学物理学部に入学を許可された最初の女性になりました.彼女が熱心に聞き入ったのはオーストリアの物理学者ルートヴィッヒ・ボルツマン(Ludwig Boltzmann) 教授の講義でした.今でこそ「当たり前」のことですが,この当時「原子は確かに存在する」と唱えたボルツマン教授は異色の科学者でした.だって,科学者といえども誰も原子を見たことが無かったんですよ.なお原子が存在する間接的な証明を始めて行ったのはアルベルト・アインシュタインで,1905年のことでした.
1906年ですから28歳のとき,リーゼはウィーン大学から博士号を授与されています.ウィーン大学では4人目の女性博士でした.残念なことにこの年ボルツマン教授は亡くなっています.リーゼは当時すでに著名になっていたポーランド出身の化学者マリ・キュリー (Marie Curie)に手紙を書いて雇って欲しいとお願いするのですが,丁重に断られてしまいます.博士の就職問題というのはいつの時代も同じなのかもしれませんね.リーゼは結局ベルリンに職を見つけ,移住することにしました.
ベルリンでの研究,運命的な出会い,そして逃亡
ベルリンでの上司はドイツの物理学者マックス・プランク(Max Planck)でした.どちらかと言えば保守的なプランクでしたが,女性の中でリーゼだけには彼の講義の受講を認めました.

リーゼ・マイトナー(右)とオットー・ハーン(左)
ただし当時のドイツはオーストリアと比べても女性科学者に厳しく,彼女の所属した研究所では地下室から出てこないようにと所長エミール・フィッシャー(Emil Fischer)から命じられています.なんとトイレの利用さえ禁じられたため,通りの先のホテルにまでトイレを借りにに出かけていました.そんなリーゼはここでドイツ人化学者オットー・ハーン(Otto Hahn)と出会います.これは科学史にとって運命的な出会いでした.この二人こそが,原子の秘密を解き明かしたのです.
リーゼは34歳のときに,新しくできた「カイザー・ヴィルヘルム化学研究所」(現マックス・プランク研究所)で研究に対して人生はじめての給料を受け取っています.1912年のことで,恩師マックス・プランクの後押しがあってのことでした.
1914年に第一次世界大戦が始まり,リーゼも1915年にオーストリア軍の従軍X線技師兼看護師として志願します.戦地では1年を過ごしました.
1916年,研究所に戻ったリーゼは原子と放射性物質の研究を続けました.1918年には当時知られていなかった91番元素「プロトアクチニウム(Pa)」を発見しています.ちなみに「プロトアクチニウム」の英語名は「プロタクチニウム(protactinium)」と1音節短くなっています.アシモフ爺さんが生きていたらネタにしていたことでしょう.
このような成果が認められ,リーゼは1922年にカイザー・ヴィルヘルム研究所の教授になりました.
この当時,マリ・キュリーによって元素が放射線を放出して別の元素に変わることが知られていました.マリによって調べられた天然ウラン,そしてマリによって発見されたポロニウム,ラジウムという元素は放射線を出しながら,少しだけ軽い元素へと変わっていくのです.
しかしリーゼと共同研究者オットー・ハーンが発見したのは,ウランに中性子をぶつけると「核分裂(fission)」が起こって,とても軽い別の元素へとばらばらに分解されてしまうと言うことでした.実際「核分裂」という言葉はリーゼが考え出しました.ただし理論的な裏付けは,リーゼ自身が亡命したあとに完成しました.
この発見と前後する1938年3月12日,ヒトラーがオーストリアを併合してしまいます.オーストリア人といえどもユダヤ系だったリーゼは突然迫害の対象になりました.彼女のパスポートもまた無効になりました.国が無くなってしまったのですから.
1938年7月12日,リーゼは怪しまれないように夜8時まで研究所で過ごしました.それから1時間半で荷物をまとめ,財布に10マルクだけ入れて,ドイツを発ちました.手には,オットー・ハーンから「いざという時のために」渡されていたダイヤの指輪がありました.
リーゼは鉄道でオランダを目指しますが,突如列車に国境警備員が乗り込んできました.彼女は後に「とても怖かったです.心臓が止まるかと思いました……私は座ったまま10分間待ちました.その10分間が何時間にも感じられました」と語っています.ただどういうわけか,パスポートは無言で返されました.
ノーベル賞と裏切り
リーゼは結局スウェーデンへ亡命し,そこで研究を続けました.今でこそ「ジェンダーギャップ指数」世界ランク5位のスウェーデン(日本は世界ランク116位)ですが,当時のスウェーデンはやはり女性科学者に厳しかったようです.
オットー・ハーンとの共同研究は続き,二人はデンマークのコペンハーゲンで秘密裏に会ったりもしていました.そしてついに,二人は「核分裂」が実際に起こっていること,その理論的な裏付けを発表します.もしヒトラーがリーゼに迫害を加えていなければ,ドイツが世界初の核兵器保有国になっていたかもしれません.
オットー・ハーンとリーゼの共同研究は近代物理学を大きく前進させるものでした.しかし,ドイツにいたオットー・ハーンはナチスによって「非アーリア人」との接触を禁じられていたため,リーゼの名前を外して研究発表を行います.1939年1月のことです.続く2月,今度はリーゼが甥で物理学者のオットー・ロベルト・フリッシュと共にオットー・ハーンが見落としていた点をまとめた論文を発表しています.
この論文はアメリカの「マンハッタン計画」の引き金になりました.1942年,リーゼは「マンハッタン計画」への参画を打診されますが,断っています.
1944年に,ノーベル賞選考委員会はオットー・ハーンにだけ核分裂の発見の功績を認め,ノーベル化学賞を授与しました.リーゼは「40年間の友情を裏切られた思い」とだけオットー・ハーンに伝えましたが,それでも友情は生涯変わらなかったと言います.
このような悲劇性も相まってか,リーゼは戦後,アメリカで「原爆の母」と誤解されました.リーゼは核分裂こそ発見しましたが,その兵器利用には生涯反対し続けていました.
オットー・ハーンのために少し横道へそれますね.オットー・ハーンはノーベル賞の賞金の一部をリーゼに渡しています.また例の「ダイヤの指輪」ですが,これは彼が母親から譲り受けた「形見」だったにもかかわらず,リーゼから取り返していません.実際,この指輪は甥オットー・ロベルト・フリッシュの妻ウッラのものになりました.
80代の恋と長生きの秘訣
リーゼは,4歳年下でドイツ出身の物理学者ジェイムス・フランク(James Franck)から「君に恋してしまった」と告白されたことがあります.彼女は「今さら遅いわよ」と答えたとか.リーゼがフランクと出会ったのはおそらく20代後半なのですが,このときすでに,お互い80歳を超えていました.フランク遅すぎ!

ジェームズ・フランク (James Franck) とリーゼ・マイトナー (Lise Meitner)
リーゼは89歳まで生きるのですが,これは放射性物質を扱った初期の科学者としては驚異的な記録です.これは彼女が,身の回りについた放射性物質を徹底的に洗い流す習慣を持っていたからかもしれません.彼女が放射線の研究を始めた時代はまだ,放射線障害の知識がほとんど無かったため,彼女には先見の明があったのでしょう.彼女の研究室では,電話とドアノブの隣には必ずトイレットペーパーが用意されていたようです.また彼女は研究者同士の握手も禁止しました.
リーゼよりも少し早い時代に放射性物質を研究したマリ・キュリーは66歳で亡くなっていますが,放射線障害が強く疑われています.
109番元素マイトネリウム(Mt)
地球人が科学者に送ることができる究極の栄誉は何でしょうか.ノーベル賞は,選考委員会が存続する限り無限に出せるので,究極の栄誉とまでは言えないかもしれません.
単位の名前になることはどうでしょうか.たとえばフランスの哲学者・物理学者ブレーズ・パスカルは圧力の単位「パスカル(Pa)」に名前を残しています.しかし,単位の名前は永遠ではないのです.たとえばドイツの数学者・物理学者カール・フリードリヒ・ガウスは磁石の強さ(正しくは磁束密度)の単位「ガウス(G)」に一時期名前を残しました.「ピップエレキバン」が「800ガウス」と言ったときの「ガウス」ですね.しかし現在は単位としての「ガウス」は非推奨で,代わりに「テスラ(T)」を使うことになっています.ピップエレキバンも800ミリテスラ(mT)になってしまいました.
ただ,おそらく有限で,それでいておそらくは永遠に,名前が残る分野もあります.それが「元素名」です.水素やヘリウムのような自然界に存在する元素は,64番元素の「ガドリニウム(Gd)」を除いて神話や地名,慣用名から名前が取られていますが,人工的に合成された元素には,合成者が比較的自由に名前を提案できます.日本人によって合成された元素に「ニホニウム(Nh)」の名前が付けられたこともありました.
元素の種類はおそらくはそう多く無く,名前が付け替えられることはまずないため,元素名になることは科学者にとって究極の栄誉と言えるでしょう.
そして,リーゼ・マイトナーに因む元素名が,1997年に名付けられました.この109番元素の合成者はドイツのペーター・アルムブルスターとゴットフリート・ミュンツェンベルクで,元素名の習慣にしたがって「マイトネリウム(Mt)」と名付けました.
なおリーゼの共同研究者オットー・ハーンのほうも一度は105番元素の名前として検討されています.ただし結局は採用されず,また一度検討された名前は二度と検討されないルールのため,今後使われることはないでしょう.
マイトネリウムは漢字で「䥑」(金偏に「麦」の旧字体「麥」)と書きます.日本の常用漢字には入っていないため,ここはひとつ「金麦」と書いて「マイトネリウム」と読むことにしてはどうでしょうか.
今週の書籍

キャサリン・ホワイトロック(著), ロードリ・エバンス(著), Kameyon(イラスト), 伊藤伸子(翻訳), 大隅典子(寄稿):世界を変えた10人の女性科学者 彼女たちは何を考え,信じ,実行したか
倒れても立ち上がって研究を続け,科学に貢献したマリー・キュリーほか10人の素顔を紹介.レイチェル・カーソン,ドロシー・ホジキン,呉健雄etc.化学,物理,生物,天文,医学,栄養学と,分野は違っても,現代科学の一端を支える業績を残した女性科学者たち10人を紹介する.女性だからという理由で待ち受けていた困難も少なくなかったが,粘り強く研究を続け,まったく新しい薬をつくったり,宇宙の秘密を明らかにしたり.10人にはキュリー夫人のようにノーベル賞受賞者もいますが,大半は賞とは無縁の人たち.女性の貢献が気にとめられなかった時代に生きて.世界をより良い場所に変えてきた彼女たちの人生に注目!
リーゼ・マイトナーを含む10人の女性科学者たちを紹介した本です.本稿も本書の記述をベースにしていますが,年代の食い違い等は極力修正しました.
ところで,科学分野の男女比は,昔と比べれば改善したとは言え,まだまだ酷いものです.僕が「日米先端工学シンポジウム(JAFOE)」というシンポジウムの委員長をしていたころ,日本代表の男女比を改善することに大変苦労しました.女性を優先採用すると「女性だけに下駄を履かせるのか」という非難が主に男性から飛んできました.その度に「俺たちがすでに下駄履いてるんだよ」と,少し上品に伝えていました.
TEDやTEDxプログラムを見て頂くとわかるとおり,科学の分野も「多様性」が進歩のエンジンになっています.多様な文化的背景やルーツを持つ人々が参画することで,本当のチームワークが生まれるのです.島国ゆえに移民の少ない日本ですが,男女比を改善するだけで科学分野の「多様性」は大幅に向上するでしょう.これは個人的な経験からしか言えないのですが,日本人に限らず男性は女性に比べてモノカルチャーなところがあるように感じます.いえ,男性ではなく「益荒男(ますらお)ぶり」の指標が少ないと言ったほうが正確でしょう.「益荒男ぶり」と言えば「権威」「権力」「財産」しかないのです.そして男性が「益荒男ぶり」を目指すことをやめるのは,当分難しいような気もしています.いや,Y世代やZ世代は違うのかな……
是非皆様のご意見を頂戴したいです.
なお,リーゼ・マイトナーの伝記としては R.L. サイム(著), 米沢富美子(監修), 鈴木淑美(訳): リーゼ・マイトナー―嵐の時代を生き抜いた女性科学者 があります.
今週のTEDトーク
2011年Googleサイエンスフェアで優勝を勝ち取ったのは3人の若い女性でした.TEDxWomenの場でローレン・ホッジ,シュリー・ボーズ,ネオミ・シャーが彼女たちのすごい研究プロジェクトについて説明し,科学に対する情熱がどこから来ているのか語ってくれます.
ジェンダーギャップ指数上位の国でさえ,まだ科学系分野の男女比は人口比に比べておかしな事になっています.しかし,科学には「多様性」が必要です.新型コロナウイルス感染症対策の切り札「mRNAワクチン」はカリコー・カタリンの「とんでも研究」から生まれました.科学の多様性には「科学者の多様性」が必要なことは,現代の多くの科学者が認めるところでしょう.
STEAM NEWSでは今後も多様な科学者たちをご紹介します.
Q&A
匿名質問サイト「マシュマロ」および質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.
今週はこちらの質問から.
エレベーターガールは,なんで必要だったのですか?
百貨店のエレベーターガールについてお答えします.
昭和から平成初期の百貨店のエレベーターは半自動と言った仕組みで,乗客が直接操作するのは困難でした.また駆け込みや無理な乗り込みなどを防ぐためにも,エレベーターには添乗員が必要でした.
ではなぜエレベーターの添乗員に若い女性を採用したかと言うと,客との接点となるため百貨店の「華」のようなイメージがあること,エレベーターに乗り続けて笑顔で接客できる体力があること,エレベーターに添乗中以外は百貨店の清掃や片付けをさせられること,そして安い労働力として雇用できることが理由でした.
なぜ僕がこんなことを知っているかというと,僕は大阪梅田の阪急百貨店で,数人しかいなかった「エレベーターボーイ」をしていたからなんです.そこではエレベーターガールは単に「ガール」と呼ばれていて,百貨店従業員カーストの最下層に位置づけられていました.彼女らは休憩時間には,百貨店の裏の汚いソファで,あられもない姿で寝落ちしていたものです.
ひどい労働環境でしたが,百貨店のない街の20歳未満の「女の子」が,都会で働く夢を見たときに,選択肢として魅力的に見えたのでしょう.今のようにネットが無かったからなおさら「憧れのエレベーターガール」像が夢見られたのかもしれません.宮沢りえ主演のドラマもありましたし.
このレターの最後に匿名質問サイトへのリンクを貼っています.質問をお待ちしております.
一伍一什のはなし
今週,ついにCOCOAアプリから通知が来ました.
動いているのか動いていないのかよく分からないアプリだと思っていたのですが,人知れずしっかりと仕事をしていたんですね.
……と関心している場合ではありません.計算機科学の大先生,奥村晴彦先生のウェブページを頼りに,COCOAアプリのログをPythonプログラムで分析してみました.
そうしたらですね,この1週間の接触記録がざくざくと……
というわけで,PCR検査を受けに行ってきます.
皆様もどうぞお気をつけてお過ごしください.
あ,こんなエンディングだと面白くないので,最後にMidjourneyが描いたリーゼ・マイトナーをご紹介しますね.

なんか,着物を着ているような気もしますね.
🍓
今週も最後までお読みいただきありがとうございます.メールでお読み頂いた皆様は,よろしければボタンを押して行ってくださいませ.(ボタンは匿名化されています.集計したデータはこのニュースレターの内容改善以外には用いません.)
このニュースレターは下のボタンからSNSで共有できます.もし気に入っていただけたら,共有ボタンも押していってくださいませ.
では,また来週,お目にかかりましょう.
ニュースレター「STEAM NEWS」
金谷一朗(いち)
TEDxSaikaiファウンダー・パイナップルコンピューター代表・長崎大学情報データ科学部教授
バックナンバーはこちらから👉 https://steam.theletter.jp
匿名質問はこちらから👉 https://marshmallow-qa.com/kanaya
(ご意見,ご感想はこのメールに直接ご返信頂けます)
「STEAM NEWS」をメールで読みませんか?
コンテンツを見逃さず、購読者限定記事も受け取れます。