【創刊3号】画家と冒険家と科学者の物語

我々の世界の見方を変えた3人の冒険家〜ゴーギャン・マゼラン・ガリレオ
金谷一朗(いち)
2021.01.08
読者限定

いちです,おはようございます.

2021年の第1週目のウィークデイも今日で最後ですね.日付と時刻に関する標準規格 ISO 8601 では「最初の木曜日を含む(月曜始まりの)週が,その年の第1週である」と規定していますので,ISOに従えば今週が2021年の第1週となります.ただし米国では1月1日を含む日曜始まりの週を第1週と数えることにしているようです.もしお手元の手帳に週番号が入っていれば,どちらの形式か見てみてはいかがでしょうか.

さて,今週は3人の歴史上の人物を振り返りたいと思います.この3人は冒険を通して,人類への類まれなる貢献をしました.彼らは必ずしも幸福な最後を送りませんでしたが,その名前は後世まで語り継がれています.その3人とは,画家と,冒険家と,科学者です.

ポール・ゴーギャン

一人目はポール・ゴーギャンです.彼は株式仲介人(ブローカー)として,また半ば趣味であった絵画取引で経済的に成功していました.本業は当時のフランス人の平均年収の5倍,趣味の方も同額ほど稼いでいたと言うから大成功でしょう.しかし画家を本業にするようになってから生活が傾き始めます.ゴーギャンはルノワール,セザンヌ,マネらの才能をいち早く見抜くなど確かな審美眼を持っていましたが,彼自身の作品は同時代の人々からの評価が高かったとは言えず,売れなくとも絵を描き続けた彼は家族からも見放されました.そして最後は南太平洋のヒバ・オア島で命を落とします.病による痛みを止めるためのアヘンチンキの過剰摂取が原因とも言われています.

ゴーギャンは若い頃,水先人見習いとして,またフランス海軍の軍人として世界を航海したようです.結婚後もフランスの海外県であるマルティニーク島で絵を描いています.ただどういうわけか,どこかでまだ見ぬ南太平洋の島,フランスの植民地でもあったタヒチに強烈な想いを持ったようでした.

1891年にゴーギャンは念願のタヒチ上陸を叶えます.その2年後一旦フランスへ戻りますが画家として受け入れられたとは言えず,1895年に再びタヒチに帰ります.そしてゴーギャンは後に傑作として評価される「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を描きます.この絵は最愛の娘を亡くした失意のどん底で描かれており,作品の完成後ゴーギャンは自殺を試みています.一命を取り止め絵を再開した彼は,タヒチから1,500km離れた最後の島へと旅立ちました.

ポール・ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
ポール・ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」は現在ボストン美術館に所蔵され,世界的な評価を受けています.イギリスの小説家サマセット・モームは「月と六ペンス」でゴーギャンをモデルにした小説を書きました.「月と六ペンス」は映画化もされています.

ゴーギャンはポスト印象派を代表するひとりとして,後のピカソやマティスらに多大な影響を与えました.彼がいなければ,美術の歴史は大きく違ったかもしれません.

なお西洋人としてタヒチ島を初めて訪れたのはイギリス人サミュエル・ウォリスで,マゼラン海峡を越える世界一周の途中でタヒチ島に立ち寄っています.1767年のことです.

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