神にサイコロを振らせるには?【第116号】
2️⃣暗号やゲームなどいくつもの重要な分野では「サイコロを振る」ことが必要です
3️⃣最近のコンピューターは物理現象を使ってサイコロを振っています
📖今週の書籍:数学ガール/乱択アルゴリズム
🐻今週のTEDxトーク:ランダムに選ぶ生き方
📨Q&A:人生で「被害届」を出したことはありますか?
いちです,おはようございます.
今週「16年逃亡していたマフィアのボス,おいしいピザを作りすぎて逮捕」というニュースがありました.被害者のことを考えると単純に笑うわけにはいかないのでしょうが,それでもくすっと笑ってしまいました.で,元になったインターポールの発表を読んで気づいたのですが,ぼく,たぶん,このピザ食べたことあります……フランス人の男の子と食べに行ったんですよね.

エドガルド・グレコ(インターポール提供)
フランスのサンテティエンヌというとても小さな街で,飲食店もそんなに多くなかったので,身を隠すには良かったのかもしれません.あ,ピザは美味かったです.
サンテティエンヌでは Biennale Internationale Design Saint-Étienne というイベントが2年に1回ありまして,当時のボスの作品を展示しに行っていたんです.展示会場の女性マスターに「あんたたち,夕方5時に来なさい」と言われていたのですが,その日はフットボール(サッカー)の試合がありまして,フランス青年と一緒に3時ごろからスポーツバーで飲んでたんですよね.前半で抜ければ間に合う計算だったので.
ところが,試合が本当に盛り上がってしまって,後半も見なくちゃ,延長戦も見なくちゃ,PKも見なくちゃ……となり,会場についたのは夜の7:00頃でした.2時間遅刻.もう真っ暗です.あああ,マスター帰っちゃったかなあと思っていたところ,ばーんと明かりがついて,奥からマスターが現れました.
怒られる……とフランス人美青年とふたりで覚悟したところ,彼女は「あら,あんたたちもう来たのね,試合はちゃんと見た?いい試合だったでしょ」と.もうね,フランス人女性もサンテティエンヌも好きになりましたよ.
あ,それでマフィアのボスもこの街を好きになった……!?
ところで先日,左胸に挿していたウクライナ国旗のピンバッジで左手人差し指を怪我してしまいました.ささやかながら,ウクライナと痛みをともにしています.その代償として,キーボードがとても打ちづらくなってしまいました.
僕はすでに左手人差し指の指先をわずかに失っていて,一時期は片手入力を訓練していたのですが,すっかり両手打ちに戻ってしまっていたので,まだ無理くりニュースレターを書いています.
いつ片手を怪我してもいいように,右手だけ,左手だけでキーボードを打てるようになっておきたいものですね.
さて,今号は「神にサイコロを振らせる」話をお届けします.
📬 STEAM NEWS は国内外のSTEAM分野(科学・技術・工学・アート・数学)に関するニュースを面白く解説するニュースレターです.
《目次》
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「神はサイコロを振らない」とアルベルトは言った
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サイコロを振れないと困ること
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神にサイコロを振らせよう
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今週の書籍
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今週のTEDトーク
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Q&A
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一伍一什のはなし
「神はサイコロを振らない」とアルベルトは言った
物理学者アルベルト・アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言いました.本誌【第101号】「神はサイコロを振る」では彼のそんな疑問をご紹介しました.
どうやら現実世界の神はサイコロを振るようなのですが,コンピューターの上に構築された「世界」では,むしろ神はサイコロを振ってくれないのです.そして,どちらかと言えば,我々はそんなコンピューター世界の神にサイコロを振ってほしいのです.
まずコンピューターの世界,そこを「サイバースペース」と呼んでも「メタバース」と呼んでも良いのですが,その世界の中で神はサイコロを振れない理由をご紹介します.ここで言う「神」とは,コンピューターを操るもの,つまりはプログラマーと思ってください.
近代的なデジタル・コンピューターは,徹底的に偶然を排除するように設計されています.ふつう,決まったプログラムと決まったデータを入力すると,決まった結果が出てこないと困るわけですよね.いまでは使われていませんが,昔はアナログ・コンピューターというコンピューターがありましたし,さらにその昔はコンピューター(人間)という職業がありました.アナログ・コンピューターも人間コンピューターも,ときどき計算を間違えます.デジタル・コンピューターは,アナログや人間と違って(めったに)間違えないことが売りのひとつでした.
デジタル・コンピューターは人類の計算能力を飛躍的に向上させましたが,ただひとつ出来ないことがありました.それが,偶然を生み出すということです.つまり,デジタル・コンピューターはサイコロを振れないのです.したがって,デジタル・コンピューターによって構築されたコンピューターの世界では,ほんとうの意味でのサイコロは存在しません.(*)
これは少し困ったことを引き起こします.
(*正確に言うと,デジタル・コンピューターも宇宙からやってくる「宇宙線」を浴びることでまれにエラーを起こします.そのため,近代的なマイクロチップには,宇宙線が引き起こすエラーを訂正する機能が組み込まれています.)
サイコロを振れないと困ること
偶然を生み出せないデジタル・コンピューターは「乱数列」という特別な数列を作ることができません.乱数列とは,周期性のない数字の並びのことを言います.周期性がないということは,未来の予測がまったくたたないということです.逆に言うと,数字に周期性があるとするならば,次に来る数字が予測できます.
たとえば円周率には周期性がないと考えられています.円周率は
3.14159265358979…
と続きますが,最初の3のあとに1が来たかと思うと,次の3のあとには5が来ています.野球のように「3ボールになったから次はストライクが来る」とはならないのですね.(*)
一方で,デジタル・コンピューターが作る数列にはどうしても周期性が現れてしまいます.周期性があると,つまり次に来る数字が予測できると,困ることはあるでしょうか?
あるのです.
たとえば暗号です.
人間が書くメッセージには周期性が現れます.この周期性をうまく利用したのが本誌【第114号】でご紹介した「計量文献学」です.メッセージの周期性を隠すことは非常に困難で,たとえ文字を置き換えてメッセージを暗号化しても,周期性を見抜かれれば解読されてしまいます.そのため,近代的な暗号では「乱数表」という周期性のない乱数列を使います.
20世紀末ごろまでは,北朝鮮が発信源と思しき「乱数放送」をラジオで聞けましたが,乱数そのものを放送していたのではなく,送信者と受信者で共有している乱数表と突き合わせてはじめて意味を持つような数列を送っていたのでしょうね.
ほかにも,ゲームで敵キャラを毎回違う位置に登場させたい場合とか,本誌【第45号】でご紹介した「モンテカルロ法」でも,できるだけ周期性のない数列がほしいのです.
しかし,すべて決定論的に動作するデジタル・コンピューターでは,作る数列の周期をできるだけ長くすることはできても,ほんとうの意味での乱数列を作ることはできないのです.
さて,どうしましょう?
(*こちらも正確に言うと,円周率が乱数列であるかどうかはまだわかっていません.)
神にサイコロを振らせよう
デジタル・コンピューターにできるだけ周期のない数列を作らせる方法はいくつも考えられています.日本人数学者の松本眞と西村拓士が開発した「メルセンヌ・ツイスタ」はとくに優秀なアルゴリズムで,プログラミングではよく使われています.
しかし,メルセンヌ・ツイスタにしても,他のアルゴリズムにしても,アルゴリズムである以上,生み出される数列はいつか繰り返します.つまり周期があるのですね.
そこで考えられたのが,もう宇宙にサイコロを振ってもらおうという方式です.宇宙と言っても,文字通り外宇宙から降り注ぐ宇宙線を使う場合もありますが,一般的には「熱雑音」や「光電効果」というコンピューター内部,それもマイクロチップ内部の物理現象を用います.ミクロな世界では,ある確率で電子(エレクトロン)がぴこっと飛び出します.その電子を何個か捕まえて,サイコロのように使うのですね.
21世紀以降のマイクロチップは,アップル製でも,AMD製でも,インテル製でも,このような「神のサイコロ」を内部に持っています.
デジタル・コンピューターは細部に至るまでノイズの影響を排除するように設計されているのですが,わざと出鱈目な数値を発生させる装置も内蔵しているということになります.
これが,神にサイコロを振らせるデジタル・コンピューターの話でした.
今週の書籍

確率とコンピュータの深くて不思議な関係とは? 「僕」と四人の少女が,乱択アルゴリズムの世界に挑む魅惑の数学物語.◆累計10万部を突破し,数学書としては異例のベストセラーとなった「数学ガール」シリーズの第四弾です.今回のテーマは,乱択アルゴリズムです.私たちは,乱数や確率を用いることで,未来への確定的な予測を行ったり,複雑な解析をシンプルにすることができます.本書では,こうしたランダムの力が生み出す世界を,純粋数学的な側面とプログラム的な側面の両方から解説し,乱択アルゴリズムの理解を目指します.◆コンピュータの得意な新入生リサが登場し,彼らの淡い恋に新たな進展も見られます.◆シリーズの読者はもちろん,数学に関心のある読者に最良の一冊です.
コンピューターで乱数がどのように利用されているのかが,プログラム例を交えて紹介されています.プログラム例は「擬似コード」というわかりやすい言葉で書かれていますので,プログラマーでなくても読めます.
今週のTEDxトーク

TEDxVienna
生活のあらゆることを,食べる物からやること,行く場所まで,ランダムに選んだらどうなるでしょう? コンピューター科学者のマックス・ホーキンスは,そういった選択を自分の代わりにしてくれるアルゴリズムを作り,その体験に病み付きになって2年間暮らしてきました.選択を捨てることによって,世界の様々な場所を訪れ,人生の素晴らしい複雑さと豊かさが開かれることになった体験について聞かせてくれます.自分のコンフォートゾーンの外には何があるだろうと思うこと間違いなしです.
生活をランダムにしてしまったエンジニアの話です.話を聞くと,真似したくなるかもしれません.
Q&A
匿名質問サイト「マシュマロ」および質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.
今週はこちらの質問から.
人生で「被害届」を出したことはありますか?
あります.
オーストリアでリュックサックごと登山用具一式を盗まれ,警察署で被害届を作成し提出しました.
警察官とのやり取りは英語で行ったのですが,登山用具の英語名を思い出せず,仕方なく日本での呼び方で伝えたところすんなり伝わりました.そう言えば日本の登山用語はドイツ語由来のものが多かったです.ちなみに盗まれたのは,ザイル,カラビナ,シュリンゲなどなどでした.
そもそも「リュックサック」からしてドイツ語でしたね.
このレターの最後に匿名質問サイトへのリンクを貼っています.質問をお待ちしております.
一伍一什のはなし
ずいぶん昔のことですが,元MIT教授のウォルター・ルーウィンの講義が好きで,オンラインでよく見ていたんですよ.実際,彼の物理学の講義はMITの名物だったと思います.
ところがある日を境に,ぱたっと見られなくなったんです.いつでも見られると思っていたので,かなり残念でしたが,まあオンラインサービスなんてものはいつ終わっても仕方ないのかもなあと思っていました.
そしてつい最近,ルーウィンがセクハラ行為によって名誉教授を剥奪されていたこと,オンライン講義もすべて取り下げられていたことを知りました.
アーティストが不祥事を起こしたときに「作品と作者は別」という議論がされることはしばしばありますが,アーティストだって悪事が発覚して以降は新作を世に出せないので,それなら旧作も削除しよう,そのためには過去にさかのぼって作品を削除しなくちゃという流れは理解できます.まあ作品の「跡地」だけは残しておいてほしいとは思います.あとから検索したときに記憶と記録が一致せず困るので.
ところで,逃亡犯が残したピザのレシピを誰かが引き継いで店で提供するのはありなのか,なしなのか,てなことも考えました.皆様のご意見をいただければ嬉しいです.
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では,また来週,お目にかかりましょう.
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ニュースレター「STEAM NEWS」
金谷一朗(いち)
TEDxDejimaStudioファウンダー・パイナップルコンピューター代表・長崎大学情報データ科学部教授
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