【第5号】最も美しい関係
いちです,おはようございます.
無事に大学入学共通テスト第1日程が終わりました.世間では「鼻出しマスク」受験生が話題でしたね.当初は「マスクで鼻を覆っていなかったから失格になった」とだけ報道されていたため「鼻出しマスク」受験生へ同情する声も多かったようです.中でも茂木健一郎さんが吹き上がっておられましたね.茂木さんによると
試験結果無効のような重大な結果をもたらす判断をする上ではお粗末.杓子定規のロボット試験監督による人権侵害だと私には思える.
とのことですが,試験監督には「杓子定規」の対応をすることが大学入試センターによって求められています.「ロボット試験監督による人権侵害」は言い過ぎではないでしょうか.「鼻だしマスク」事件に関しては茂木さんの勇み足だったと言えると思います.
ところで,共通テスト会場では,マスクを忘れた,マスクの紐が切れたなどでマスク非着用の受験生には予備のマスクを配布し,アレルギーや外科的な理由でマスクが着用できない受験生には専用の受験室を用意しています.マスク非着用者のための受験室でも,試験監督は医療用ガウンや防護服を着用することが禁止されているため,受験環境は一般の受験室とだいたい同じです.
ここらへんの予防線の張り方はさすが大学入試センターだなあと関心するレベルなのですが,受験生への配慮というかほとんど演出とも言えるルールには,むしろ試験監督の人権を考えてもらいたいところです.

マイナスの数
さて,今週は数学に見られる,ある美しい関係をご紹介したいと思います.この関係は,ノーベル賞物理学者リチャード・ファインマンによって「我々の至宝」と呼ばれています.
まず,我々はマイナスの数から始めなければなりません.え?そんなの知っているよと思われるかもしれませんが,17世紀のヨーロッパでは数学者でもマイナスを知っている人は少数派でした.
「気温が氷点下になったらどうするの?」
という質問はもっともです.冬のヨーロッパは寒いですものね.

我々が使っているセルシウス温度目盛(摂氏)だと寒い冬の気温はマイナスになります.しかし西欧のほとんどの国でかつて,そして米国ではいまでも,ファーレンハイト温度目盛(華氏)が使われていました.華氏0度は寒剤が凍る温度で,摂氏マイナス17.8度です.つまり,余程のことがない限り華氏0度以下にはならないのです.もし華氏0度を下回れば,もう十分寒いのだから,温度なんて測らなかったことにすればよいのです.
そう,そんな数は無かったことにすればいいというのが,当時の常識でした.
ところが,マイナスの数が無いといろいろ困ることに人々が気づきはじめました.その最大の難点は「方程式」です.方程式は英語ではイクエーション (equation) と呼びますが,これは二つの数式をイコール (equal) で結ぶことを意味しています.ヨーロッパ人よりも早く中国人がこの概念を発明していて,九章算術という本の「方程」という章に載せたために,日本を含む中国文化圏では方程式と言います.
世界最古の記録に残っている方程式は古代エジプトまで遡ります.紀元前1650年頃のものと推定されるパピルス(リンド数学パピルス)に,こんな問題が書かれています.
「Ahaの全体とその1/2に4を加えたものは10に等しい」
現代風にAhaをxと書くと,パピルスに書かれたこの問題は「(3/2)x+4=10」という方程式ということになります.(答えは「x=4」ですね.)

方程式を扱う数学を代数学と呼びます.後ほど見ることになりますが,未知数という「代理の」数が登場するからです.代数学は英語でアルジェブラ (algebra) と呼びますが,これはアラビア語の al-jabr (復元するの意)から来ています.
この話は後でご紹介するTEDトークでぜひご覧になって下さい.
さて,古代エジプトの方程式よりもずっと簡単な問題を考えてみましょう.「ある数xに3を加えたところ5になった.ある数xとは何か?」方程式で書くと「x+3=5」ですね.答えはもちろん「x=2」です.では「x+3=1」の答えは何でしょうか?
えええっ? と,17世紀のヨーロッパ人は驚きました.よく似た方程式なのに,答えがありません.後世に名を残したスイスの数学者レオンハルト・オイラー(18世紀のひと)さえも,答えはあるにはあるが意味はないと考えていたようです.
ある数学者が勇気を振り絞って「x+3=1」の答えを「x=–2」としました.ついにマイナスの数を認めたのです.もちろんこれはヨーロッパの数学者の間での話しで,アラブの商人たちはもっと昔からマイナスの数(つまりは赤字)を使っていました.
マイナス掛けるマイナス
ところで,マイナスの数も数のうちとなると,マイナスの数同士の掛け算も考えておかねばなりません.御存知の通り,マイナス掛けるマイナスはプラスになります.しかし,これはどのように説明すれば良いでしょうか.
僕は高校時代にクラスの友人に聞いてみたことがあります.彼は見事な説明を僕に返してくれました.「1分ごとに1度ずつ室温が下がるとするやろ?つまり1分ごとにマイナス1度や.では5分前の室温は何度や?」1分ごとにマイナス1度で,5分前つまりマイナス5分後ですから,マイナス1掛けるマイナス5でプラス5.答えは,5分前の室温は現在よりも5度高かったということになります.こう考えれば,マイナス掛けるマイナスがプラスになることが合理的だとわかります.
実際,彼からはいろんなことを学びました.今でも覚えているのは「先生の言うことを聞いとったら,先生程度の人間にしかなられへん」という名言です.
虚数
ヨーロッパの数学者たちは,お互いに難しい方程式を出し合ってその答えを競い合ったそうです.そんな中に,方程式の中に「x掛けるx」つまり「x↑2」を含んだ「2次方程式」が解けるかという問題もあったようです(注:本ニュースレターでは「xの2乗」を「x↑2」と書きます).ここでは出来るだけ単純な例を挙げましょう.方程式「x↑2=4」の答えは「x=2」です.「2掛ける2」が4になるからです.数学に詳しい方なら,マイナス掛けるマイナスがプラスになるため「x=-2」も答えになることに気づかれるでしょう.つまり答えは「x=±2」ということになりますね.
あるとき,とある数学者が「x↑2=-4」の答えはあるかと問いかけました.当時答えは知られていませんでした.そこで,多くの数学者たちは「そんな数は無かったことにしよう」と主張しました.現在でも,中学数学では「無かったこと」にされています.
自分自身と掛け算をするとマイナスになる数だなんて「マイナス掛けるマイナスはプラスになる」ルールに反しています.そんな数は無いと考えるのが普通です.しかし,イタリアの数学者ジェロラモ・カルダーノは「仮にそのような数が存在するとしたら」と想像しました.現在では,そのような数に「虚数」という名前がつけられています.「虚数」は英語のイマジナリーナンバーの訳で,意味としては「想像上の数」というわけですね.とりわけ「純虚数」という数iは,自分自身との掛け算すなわち「i↑2」が-1と等しいということになっています.
ここから数学は思わぬ発展を遂げます.ドイツの大天才カール・フリードリヒ・ガウスは,あらゆる方程式の解が,虚数を認めれば存在することを証明しました.ここがゴールだったのです.もうこれ以上,新しい数を想像する必要はありません.
ガウス平面
ガウスはこんなことを考えました.いままで数と思っていたものを「実数」と呼ぼうと.世の中には実数と虚数とがあります.そこで,横軸に実数,縦軸に虚数をとったグラフ用紙を作ってみようと.このグラフ用紙を「ガウス平面」と呼びます.

ガウス平面の横軸上に点を打つと,それは実数つまり今まで知られていた数を表すことになります.中心から離れるほど大きな数です.一方,ガウス平面の縦軸上に点を打つと,それは虚数を表すことになります.虚数にも大きさはあります.
ガウスはここで止まりませんでした.横軸上でも,縦軸上でもない,広大な平面の中にも点が打てます.この点を「複素数」と呼びます.英語ではコンプレックスナンバーと呼びます.直訳すると「複雑な数」ですね.複素数とは実数と虚数が足し合わされたものです.一般的には,xとyを実数とすると「x+iy」の形をしています.複素数はよくzと表して「z=x+iy」の意味とします.
足し算と掛け算が隠していたもの
レオンハルト・オイラーはある美しい関係を発見しました.それは

という関係を考えたときに見つかりました.ここでiは先程の純虚数,eは2.7より少し大きな数です.χはxとよく似ていますが「カイ」というギリシア文字です.χを0から少しずつ大きくしていき,その都度zの値を計算します.計算方法は少し複雑ですが,使うのは掛け算と足し算だけです.(自分で試してみたい方は表計算ソフトで試せます.)そして,zの値をガウス平面にプロットしていきます.
ガウス平面にどのような点が打たれると思いますか?
驚くべきことに,真円が描かれるのです.掛け算と足し算だけで,真円が描けたのです.コンパスを使わずに真円が描けることは奇跡と言って良いでしょう.この関係からは,皆さんもよくご存知の円周率(π)も導くことが出来ます.「z=-1」のとき,χの値は円周率に等しくなります.

この関係は多くの数学者や科学者を魅了してきました.アメリカの天文学者カール・セーガンもその一人だったと僕は信じます.彼は小説「コンタクト」の中で,この宇宙を描いた画家がどこかに小さな署名を残したと考えました.その署名は,円周率の中に隠されているというものでした.僕はセーガン博士が本当に伝えたかったのは,このオイラーの発見だったのではないかと思っています.
古代ギリシアから続く幾何学(ジオメトリー)はヨーロッパの数学者にとって馴染み深いものでした.一方で,アラブ世界から入ってきた代数学(アル・ジェブラ)は馴染みのないものでした.しかし,オイラーによると,その両者はイコールでつながるのです.極論を言えば,神々の学問である幾何学が,商人の学問である代数学から導かれてしまったのです.
数学という体系の力強さと,数学を前にして驚いてばかりいる人類という図式が浮かび上がりますね.
おすすめTEDトーク

今週は書籍より先におすすめTEDトークをご紹介します.なぜ未知数をxで表すのでしょうか?実は,アラブ世界の代数学がスペインに輸入されたときに,仕方なくxが選ばれたようなのです.TEDで紹介されたこの説には反論もあるようなのですが,興味深い動画なのでご覧になってはいかがでしょうか.3分42秒と短いのも魅力です.
おすすめ書籍(映画)

原作の方の紹介を引用します.
20世紀末のある日,ニューメキシコ砂漠の天文台が,奇妙な電波信号をキャッチした.それは厖大な素数系列で,発信源は26光年彼方のヴェガ系惑星と判明した.地球外知的生物からの電波探査機関〈アーガス〉の責任者エリーが,待ち望んだ瞬間だった.世界の専門家が協力しついに信号は映像化されたが,スクリーンに現われたのは,あまりにも意外な…著名な天文学者の処女小説.
僕は高校生の頃,書店でこの本を見つけて夢中になって読みました.本書の主人公,エリー博士が子供の頃に心惹かれたという公式
1 - 1/3 + 1/5 - 1/7 + … = π/4
には僕も心躍りました.この式は「ライプニッツの公式」と呼ばれていますが,実際にはインドの数学者マーダヴァが発見していたので「マーダヴァの公式」と呼ぶべきかもしれません.
科学の中に「美」を求め続けたセーガン博士は,宇宙に設計者(画家)がいた事を何かが証明するとしたら,それは円周率(π)だと信じていました.セーガン博士はきっとオイラーの発見にインスパイアされたのでしょうね.
原作は残念ながら絶版となっているようですが,古書が(1円で)手に入るようですし,何よりも映画版が制作されていますので,映画で観るのもおすすめです.ただし,「小説家」としては駆け出しのカール・セーガン博士による原作と,映画制作者としては大御所のロバート・ゼメキス監督の作品,しかも大女優ジョディ・フォスター主演作品と来たら,映画の方が良いに決まっているようなものですが,この作品に関しては原作の方が優れていると感じました.と言うのも,映画の方は円周率の話が信仰の話に置き換えられているのですよね.
映画とは直接関係しませんが,こちらのセーガン博士とノーベル賞(!)バンドによる音楽もぜひお楽しみください.ボンゴを叩いているのはファインマン博士です.
Q&A
匿名質問サイト「マシュマロ」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.
今週はこんなご質問をいただきました.
本番に強い人間になるには,どうしたら強化されるでしょうか?私は上がり症で,人前で発表するのも苦手です.
僕は極度のあがり症でした.いまはそうでもないのですが,それが訓練によるものなのか,元々素質があったのかはわかりません.僕なりの訓練方法を書いてみますね.
訓練その1. ひたすら本番の練習をすること.
訓練その2. 毎日瞑想すること.
訓練その3. 恥ずかしい思いをすること,凹むこと,無力感を感じること.
「失敗を恐れるな」「失敗しても気にするな」と言われても無理なものは無理なので,素直に落ち込んじゃうことだと僕は思っています.落ち込んでも,不思議と次の機会があるものですよ.
こちらの匿名質問サイトで質問を受け付けています.質問をお待ちしております.
ポッドキャストのお知らせ
今週もポッドキャストを続けてみました.こちらもまた皆さんのコメントを頂ければありがたいです.
iPhone/Mac からは以下のリンクでお聞きいただけます.
Android/PC からは以下のウェブサイトでお聞きいただけます.
あとがき
受験生の皆さんは,共通テスト第1日程大変お疲れさまでした.第2日程を受験される方,これから個別入試を受けられる方,最後まで健康に気をつけてください.
僕が受験したころは共通テストではなくセンター試験だったのですが,その思い出として以前こんなツイートをしました.

高校3年生の冬,同級生の女子と立ち寄ったアイスクリーム屋さんで,オヤジに「兄ちゃん,ドライアイスはマイナス何度か知っとるか?」と聞かれ「マイナス10度ぐらい?」と答えた.オヤジは僕に全力で「阿呆,マイナス70や」と言った.これが翌日のセンター試験化学の鍵だった.オヤジありがとう.
僕のツイートとしては珍しく25万インプレッションも行き,随分と「リア充自慢おつ」と言われました.僕としては「ドライアイス(二酸化炭素)の凝固点を知らなかった」「自分は賢いと思っていたが,女の子の前でオヤジに知識マウンティングをされた」「マウンティング・ゴリラに人生を救われた」という黒歴史の吐露だったんですよね.意外な反応でしたが,おかげで心の闇がひとつ晴れました.
実はその同級生の女子とはセンター試験の会場が違ったんです.僕が受験したのは神戸大学会場だったんですが,最寄り駅から遠い山の上だし,吹雪いているし,週末だからバスは少ないしという状況だったため,バス停に立っていた受験生らしい見知らぬ女性に声をかけて一緒にタクシーで会場へ向かいました.すっかり忘れていたのですが,このニュースレターを書いていて思い出しました.
いま思うと,チャラいですね…
ではまた来週お目にかかりましょう.
ニュースレター「STEAM NEWS by Ichi」
発行者:金谷一朗(いち)
TEDxSaikaiファウンダー・パイナップルコンピュータ代表・長崎大学情報データ科学部教授
Photo by Austin Neill on Unsplash
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