お吸い物・バーチャルリアリティ・位相幾何学【第126号】

1️⃣和食の「お吸い物」はバーチャルリアリティ(VR)体験です
2️⃣バーチャルリアリティとは本質的な現実を意味します
3️⃣形の本質を追い求めた数学者アンリ・ポアンカレをご紹介します
金谷一朗(いち) 2023.04.21
誰でも

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いちです,おはようございます.

今週はバンクーバーで開催されているTEDカンファレンス(TED2023)のライブ配信TEDLiveがあり,時差に苦しんでいます.ライブ配信のチケットは400米ドルなのですが,僕は皆様と今年のTEDトークを共有するオンラインイベントTEDxDejima Liveのホストなので,無料で参加させていただいています.というわけで,現地TEDにほぼリアルタイムで参加できるのは良いのですが,時差が辛いです……もう,地球が平らだったら良かったのに,と思います.地球が平らだったら,世界中どこでも同じ時間帯ですものね.

アンリ・ポアンカレ
アンリ・ポアンカレ

さて,今週はフランスの数学者アンリ・ポアンカレが考えたことを共有してみたいと思います.彼のアイディアは,地球ではなく「宇宙」が平らかどうかという疑問に答える鍵なのです.

【お知らせ】今年のTEDカンファレンス「TED2023: Possibility」からいくつかのトークをオンラインで共有するYouTubeライブ「TEDxDejima Live」を4月29日に実施します.ご関心のある方は事前申し込みをお願いいたします.

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《目次》

  • バーチャルリアリティとは「お吸い物」のこと

  • アンリ・ポアンカレの考えたこと

  • ポアンカレ予想とペレルマン

  • 今週の書籍

  • 今週のTEDトーク

  • Q&A

  • 一伍一什のはなし

バーチャルリアリティとは「お吸い物」のこと

皆さんは「バーチャルリアリティ(VR)」という言葉を聞かれたことがあると思います.

何を今更……と思われるかもしれません.でも「バーチャルリアリティ」の日本語訳はご存知でしょうか?

もちろん「仮想現実」?

これは日本バーチャルリアリティ老人会の鉄板ネタなのですが,バーチャルリアリティを「仮想現実」と訳すのは誤訳なんです.

リアリティを「現実」と訳すのは,大きな問題ではありません.いやリアリティだって自然科学者の言うリアリティと考古学者の言うリアリティは違うのですが,誤訳というほどではありません.問題はバーチャルのほうです.

バーチャルの意味は「仮想」ではなく「本質」なんです.バーチャルエネミーは「仮に想定した敵」ではなく「今は襲ってきていない敵」ですし,バーチャルマネーは「こども銀行券」ではなく「実質的な通貨」ですよね.バーチャルリアリティもまた「本質的に現実」を意味する言葉です.

で,僕はこう思うのです.

和食が生み出した文化のひとつに「お吸い物」があるじゃないですか.鰹とか,かしわ(鶏)からお出汁をとって,本体は使わない液体食品です.

「お吸い物」を生み出した都(みやこ)の料理人たちは,もうあんまり運動しなくなった貴族のために,動物の「旨味」だけを抽出しようとしたんじゃないかなあと思うのです.なので,鰹出汁のお吸い物は「バーチャル鰹」ですし,鶏出汁のお吸い物は「バーチャルかしわ(鶏)」なんですよ.

きっと.

アンリ・ポアンカレの考えたこと

さて,バーチャルのほんとうの意味について想像していただいたところで,本題です.

19世紀から20世紀にかけて生きたフランスの数学者ジュール=アンリ・ポアンカレは「数学者とは不正確な図を見ながら正確な推論のできる人間のことである」と常々言っていたそうです.彼にとって「不正確な図」とはリアリティのこと,正確な推論とはそのリアリティから導き出される数学すなわち本質のことだったのでしょう.

ポアンカレは「位相幾何学」あるいは「トポロジー」と呼ぶ,画期的な数学を考え出しました.彼はコーヒーカップを見て「これは本質的にはドーナツである」としたのです.次の図は The Horizon of Reason というウェブサイトに掲載されていた図です.

コーヒーカップを少しずつ変形していくと,最後にドーナツになるのがわかりますね.そのため「数学者にはどちらも同じに見える」という冗談もあります.

ポアンカレが目をつけたのは,コーヒーカップもドーナツも「穴がひとつ」開いた形だということでした.

たとえば茶碗には取っ手がないので,少しずつ変形していってもドーナツにはならずにお団子になります.これがコーヒーカップと茶碗の数学的な違いだということです.

このように,目に見える形を無視してしまって,形の本質,すなわち穴が開いているかどうかにだけ関心を向ける態度を位相幾何学と呼びます.

ポアンカレの思考はここで止まりませんでした.

「平らな地球」を思い出してください.

このイラストはネバダ州立大学ラスベガス校の「地球が丸い証拠:科学が示す,私達の住処が球である証明」から引用しました.

平らな地球のイメージは荒唐無稽に見えるかもしれませんが,それは人類が宇宙から地球を直接見ることができるからこそなのです.ロケットのなかった時代の科学者たちは,さまざまな証拠を寄せ集めて,地球が丸いことを示しました.それらの証拠のほとんどは,地上にありました.

ポアンカレはこう考えたのです.もし僕たちがお団子もしくはドーナツの表面に立っているとして,上空から見下ろすことができないとき,どうやって自分たちの大地に穴があるのかないのか,知ることができるだろうか.ここでいう「穴」とは貫通した穴のことで「掘った穴」つまり洞窟のことではないです.

ポアンカレは素晴らしいアイディアを持っていました.もし僕たちがお団子の上に住んでいるなら,地面に這わせたとても長くて伸び縮みする輪っかは,それがどのようなものであれ,少しずつ変形させていくと同じに輪っかになります.次の図のピンク色の輪っかは,少しずつ縮めていくと赤い輪っかと同じになります.

一方で,ドーナツ星人は,どう変形させていっても一致しない輪っかを見つけられます.次の図のピンク色の輪っかを,どのように変形させたとしても,赤い輪っかには一致しないのです.

このようにして,ポアンカレは上空から見下ろすことなく,形の区別がつくことを示しました.

ポアンカレ予想とペレルマン

1904年,ポアンカレは地球に穴があるかどうかのたとえを一気に飛躍して,4次元空間でも同じことが言えるのではないかと予想しました.この予想は「ポアンカレ予想」と言います.

地球のたとえでは,地球の表面は2次元空間でしたし,地球そのものは3次元の球体です.地球の表面が2次元というのは,東西と南北の2方向に動き回れるという意味です.現実の地球ではさらに標高がありますが,いまは本質的な球体を考えているので,標高はないものと考えます.

ポアンカレ予想は,3次元の「表面」を持つ4次元の「球体」を考えるのです.

「そんなんどこにありまんねん?」

と,思ってしまいますよね.もちろんです.

ポアンカレが予想を提出した1904年は,アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルがまだスポーツにのめり込んでいた15歳の少年だった年です.宇宙に大きさがあること,そして宇宙が膨張していることを彼が証明してみせるのは,その20年後です.

ハッブルによって修正された宇宙像では,僕たちはおそらく,4次元の球体の表面に住んでいます.

それゆえ,ポアンカレ予想は重大な意味を持ってくるのですね.この予想を証明に変えたのは,ロシアの謎多き数学者グリゴリー・ペレルマンでした.とても興味深いストーリーがありますので,ご関心のある方は「今週の書籍」をご参考になさってください.

ポアンカレは1928年に「科学者と詩人」という書籍も残しています.本書はポアンカレが故人へ向けて送った追悼を集めたものです.ポアンカレは高校時代には音楽が苦手だったそうなのですが,なかなかの名文を書き上げていますので,彼のことをアーティストと呼んでも差し支えないでしょう.

今週の書籍

「ポアンカレ予想」という名の迷宮.2007年1月,“宇宙の形を知る手がかり”といわれ,幾多の数学者が挑み,挫折し続けた難問「ポアンカレ予想」が解かれた.「数学界の残酷物語」とも「変人数学者たちの大いなる浪費」ともいわれたこの難問への挑戦.その苦難と敗北の歴史を軸に,天才数学者たちの生き方と数学の魔力を描く.
Amazon

ポアンカレ予想を解いたロシアの数学者,数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞しながら受賞を辞退し姿を消した謎の男グレゴリー・ペレルマンを追いかけたノンフィクション作品です.

展開がおもしろいので,一気読みしてしまいますよ.

今週のTEDトーク

細胞分裂にヒントを得てマイケル・ハンスマイヤーが作ったアルゴリズムで,何百万もの面を持った,物凄く面白い形がデザインされました.手作業で描くことは誰にも出来ませんが,実際に構築することは可能です.この方法で私達の考える建築の形に革新が起こせるかもしれません.
TED

「自然はもっとも偉大な建築家である」と,このトークの中でマイケルは引用します.自然は驚くべきことに,設計図なしに,自ら構造を生成していくのです.

考えてみれば,設計図というのは地球を宇宙から見下ろすようなものですね.

数学者たちは,宇宙から地球を見なくても,地球の性質,たとえば直径とかを知る方法を考えてきました.ならば,エンジニアも,人工物を見下ろすことなく組み立てていく方法を見つけても良いのかもしれません.

そんなことを考えたTEDトークでした.

Q&A

匿名質問サイト「マシュマロ」および質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.

今週はこちらの質問から.

看護師さんに言われた忘れられない言葉はありますか?
Quora

僕が若かった頃言われた言葉です.

看護師長(女性)「ええか,若い看護師見たら心動くやろうけど,目動かしたらあかんで」

副看護師長(女性)「そら逆や.目動かすのはしゃあないけど,心動かしたらあかんで!」

僕は目も心も動かさないようにしました.

このレターの最後に匿名質問サイトへのリンクを貼っています.質問をお待ちしております.

一伍一什のはなし

今週はいろいろスタートした週でした.冒頭でご紹介したとおりTED2023にもライブ参加していますが,こちらは4月29日にオンライン開催するTEDxDejima Liveの準備です.無料でご参加いただけますので,今年のTEDにご興味があればぜひご検討ください.

そして!

今号配信日の前日となる4月20日に,ポッドキャストの書き起こしサービスLISTEN(リッスン)のβ版(試験版)が公開されました.本ニュースレターの音声版も参加しているので,よろしければお試しください.新規登録も少しずつ受け付けているそうですので,ポッドキャスターの方は登録してみてくださいね.ポッドキャストの書き起こしって便利ですねー.

僕はLISTENのβ版テストには呼ばれていなかったのですが,偶然リンクを見つけて参加登録したんですよ.サービスを開発,提供しているのが元TEDxKyotoの同僚,近藤淳也さんとは知らずに「凸」してました.というわけで,淳也さんとも久しぶりにお話ができました.

🍓

今週も最後までお読みいただきありがとうございます.メールでお読み頂いた皆様は,よろしければボタンを押して行ってくださいませ.(ボタンは匿名化されています.集計したデータはこのニュースレターの内容改善以外には用いません.)

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では,また来週,お目にかかりましょう.

【謝辞】本ニュースレターは「STEAMボート」乗組員(STEAM NEWSサポートメンバー様)のご支援でお届けしております.乗組員の皆様に感謝申し上げます.

***

ニュースレター「STEAM NEWS」

金谷一朗(いち)

TEDxDejima Studioファウンダー・パイナップルコンピューター代表・長崎大学情報データ科学部教授

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