【第12号】ABC予想を中学数学で(雑に)説明する

ついに証明された数学上の難問「ABC予想」を中学数学で説明!
金谷一朗(いち) 2021.03.12
誰でも

いちです,おはようございます.

3月5日,京都大数理解析研究所の望月新一教授の「ABC予想」論文がついに学術誌「PRIMS」に掲載されたとニュースになりました.学術誌は,投稿された論文が正しいかどうかを専門家同士で「査読」するのですが,本論文は難解すぎて,その査読に7年半かかったとのことです.また,論文は掲載後も同業者の厳しい目に晒されますので,論文掲載をもって「研究完了」とはなりません.

それだけ難しい「ABC予想」の証明なのですが,そもそも「ABC予想」とは何でしょうか.共同通信

ABC予想は,整数の足し算と掛け算の関係にまつわるもの.
共同通信

という雑なまとめ方をしていましたが,これではあんまりなので,もう少し詳しく(僕の理解している範囲で)お話してみましょう.

なおABC予想は「予想」だった時代の名前で,もし望月先生の証明が正しいとなれば「望月の定理」と呼ばれることになるのでしょう.

ちょっとした準備:素数と素因数分解

これからABC予想の「雑な」理解についてお話したいと思います.ただし,その前にひとつだけ,数学的な準備体操をさせてください.それは「素因数分解」と言います.素因数分解は現在の教育課程では中学校で学習します.

まず「素数」から始めましょう.素数を「超大雑把」に言うと「どうやっても割り切れない整数」のことです.理不尽な状況に立たされたときの気持ちみたいですね.僕は学生時代,指導教授に「この装置組み立てとけや」と言われて1ヶ月かけて組み立てたところ「お前なんでそんなことやっとるんや」と怒られたことがあります.素数な気分でした.

素数についてもう少し正確に書きます.素数は1より大きな自然数のうち,1と自分自身で割り切れない数のことです.例えば2は,1と2以外(3とか4とか)で割り切れないので,素数です.お隣の3も1と3以外で割り切れないので素数ですね.しかし4は2で割り切れるので,素数ではありません.このようにして素数を見つけていくと

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19…

と無限に出てきます.素数の見つけ方は紀元前3世紀の古代アレクサンドリアにいたエラトステネスによって発明されており,素数が無限にあることの証明は同じく古代アレクサンドリアのユークリッドによってなされています.古代アレクサンドリアは学問の聖地と言いますが,こんなところにも一端が現れていますね.

任意の数を素数の掛け算へと分解することを「素因数分解」と呼びます.例えば20は

20=2×2×5

と素因数分解できるわけです.素因数分解したときに同じ素数が重複した場合は,まとめてひとつにカウントします.まとめると

「20を素因数分解すると2と5になる」

または,より短く

「20の素因数は2と5である」

となります.

これで数学的な準備が出来ました.

ABC予想の「雑な」理解

ABC予想は英語では abc conjecture と言う風に小文字を使います.数 a, b, c が登場するからですね.別名は,提案者の名前をとって「オステルレ・マッサー予想」と言います.オステルレはフランスの数学者,マッサーはイギリスの数学者で,提案したのは1985年から1988年にかけてのようです.

まず a, b, c が「正の整数」だとします.正の整数とは 1, 2, 3, … のことで,自然数とだいたい同じ意味です.(自然数に0を加える流儀もあるため,正の整数と自然数は別とします.)

正の整数 a, b, c にあとふたつの制約を加えます.

ひとつめ.a, b, c は「互いに素」である.

「互(たが)いに素(そ)」というのは数学用語で,この場合 a, b, c を共に割り切る正の整数が1だけ,つまり a, b, c の「最大公約数」が1であることを意味します.例えば a=2, b=3, c=5 とすると,すべてを共通に割り切れる整数は1だけですから「a, b, c は互いに素」と言えます.一方で a=2, b=3, c=4 とするとacがそれぞれ2で割り切れてしまいますから「a, b, c は互いに素ではない」となります.

ふたつめ.a+b=c.

こちらは簡単ですね.むしろ簡単すぎるかもしれません.abを足したらcになること.以上.

以上の条件を満たした三つ組の数 a, b, c をまず見つけます.たくさんありますよ.

例1. a=2, b=3, c=5 は互いに素で,かつ a+b=c

例2. a=3, b=4, c=7 は互いに素で,かつ a+b=c

などなど.ここで,新しい数dを考えます.これまた簡単な計算で d=abc とします.掛け算ですね.ただしdを素因数分解したときに素数が重複している場合は,その重複を取り除いて掛け算を計算します.先程の例でいうと,例2の a=3, b=4, c=7 は d=3×4×7 となるところですが,素因数分解すると d=3×2×2×7 となってしまうので,重複する2をひとつにして,代わりに d=3×2×7=42 を採用します.

これで役者が揃いました.(この言い方,数学者がよく使うフレーズです.)

ABC予想とは,ものすごく大雑把に言うと「cはときどきしかdよりも大きくならない」という予想のことです.

例1だと a=2, b=3, c=5 ですから d=30 なのでcdよりも小さいです.

例2だと a=3, b=4, c=7 ですから d=42 なのでcdよりも小さいです.

まだ「ときどき」が起こっていませんね.「ときどき」の例としては a=1, b=8, c=9 が知られています.このとき d=1×8×9 としたいところですが,dを素因数分解して(d=1×2×2×2×3×3),重複を取り除くと d=1×2×3=6 になるので,cdよりも大きいです.

ABC予想は,このような「ときどき」が本当にときどきしかないことを主張するのです.コンピュータによる探索によると,cが10,000未満となるような a, b, c の三つ組は約1,500万通りあるのですが,cdよりも大きくなる「ときどき」の例は120個しかないそうです.

ABC予想は,この「ときどき」の度合いも予想しています.そしてdの2乗(d×d のことで,本誌ではしばしば「d↑2」と書きます)を比較対象に選んだ場合,つまりcd↑2 を比較した場合,いかなる三つ組 a, b, c でもcd↑2 よりも小さいことを示しています.

ところで,一般的な数学の教科書では「xn乗」を

と書きますが,nが自然数の場合,僕たちのような計算機科学者は「xn」と書くことを好みます.(理由はぜひ本誌【創刊号】でご確認ください.美しい理由があるのです.)

フェルマーの最終定理

ABC予想は,それが正しいのならば「フェルマーの最終定理」と呼ばれる数学定理を簡潔に証明できてしまうことから,大変にインパクトのある予想です.フェルマーの最終定理とは,17世紀フランスの裁判官にして数学者だったピエール・ド・フェルマーによる数学上の「予想」で,証明したのはイギリスの数学者アンドリュー・ワイルズです.証明には129ページが費やされました.それはフェルマーの死後330年,予想から360年経った1995年のことでした.

フェルマーの最終定理は,ワイルズが証明するまでは「予想」だったので「ワイルズの定理」あるいは「フェルマー・ワイルズの定理」と呼ぶべきなのですが,あまりにも長い間フェルマーの名前で知られていたために現在でも「フェルマーの最終定理」と呼ばれています.そして,もちろん1995年以前は「フェルマー予想」と呼ぶべきではあったのですが,フェルマーがうっかり「証明した」と言ってしまったために「定理」の名前が与えられてしまいました.

なぜ「最終」定理なのかについても説明が必要です.なにもこの定理が証明されたら宇宙が終わるわけではありませんし,フェルマー自身が死の間際に証明を残したわけでもありません.それはフェルマーが古代アレクサンドリアのディオファントスの書「算術」(紀元前3世紀)の余白に書き残した言葉から来ています.

フェルマーは「算術」に48箇所の書き込みを残しました.その中に,現在「フェルマーの最終定理」として知られている数式があり,その直後に

この定理に関して,私は真に驚くべき証明を見つけたが,この余白はそれを書くには狭すぎる
フェルマー

と書いているのです.なんということでしょう!証明を見つけたのに,余白が足りなくて書かなかったとは.まるで「古代エジプト王の宝のありかを見つけたが,適当なペンが見当たらないので地図に書き込めない」みたいな感じです.ワイルズが129ページを費やして証明したのですから,余白が足りないのは当然だったのですね.

数学者たちは,他の箇所に書き込まれた定理たちをすべて(間違いなら間違いと)解決していったのですが,この「余白が足りなかった」定理だけは決着が付きませんでした.それ故に「最終定理」と呼ばれたわけです.

そのフェルマーの最終定理とはどんなものでしょうか?

3以上の自然数をnとします.このとき xn+yn=zn となるような自然数の組 x, y, z は存在しない,というのがフェルマーの最終定理です.(「xn」は「xn回掛け合わせる」という意味です.)

フェルマーはnが3以上の場合を扱いましたが,n=2 の場合すなわち x↑2+y↑2=z↑2 を満たす整数の組 x, y, z は無数にあり「ピタゴラス数」と呼ばれています.古代エジプト人たちもピタゴラスが生まれる何千年も前からピタゴラス数を何組か知っていたようで,地面に直角を描くのに使っていたと考えられます.例えば 3, 4, 5 は有名なピタゴラス数です.

フェルマーの最終定理は比較的シンプルな予想ですが,フェルマーが証明をしないまま300年以上がたちました.僕たちの世代で言えば映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」を観たあとの状態,あるいは映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を観たあとの状態でしょうか.それが300年続いたのです.そりゃあ,いろんな数学者が取り組みますよ.「数学は科学の女王にして奴隷」を著した数学者で作家のエリック・テンプル・ベル(E.T.ベル)は “The Last Problem” (最後の問題)の中で

おそらく文明はフェルマーの最終定理が解かれる前に滅びるだろう
E.T. ベル:最後の問題

と1961年に書きました.絶望的だったんですね.なおこの一言が,若きワイルズをしてフェルマーの最終定理へと向かわせたそうです.

天文学者カール・セーガンは1997年にこのような文章を残しています.

私はときどき,宇宙人と「コンタクト」しているという人から手紙をもらうことがある.「宇宙人に何でも質問してください」と言われるので,ここ数年はあらかじめ短い質問リストを用意している.聞くところによると,宇宙人はとても進歩しているそうだ.そこでこんな質問をしてみる――「フェルマーの最終定理を簡単に証明してください」(中略)もちろん宇宙人は「フェルマーの最終定理」という呼び方はしないだろうから,その内容を説明しなくてはならない.そこで例の、冪(べき) 指数つきのごく簡単な式(引用者注:我々の「x↑n+y↑n=z↑n」のこと)を書いておくのだが,返事をもらったことはただの一度もない.
カール・セーガン:科学と悪霊を語る

ワイルズがフェルマーの最終定理の証明に成功したというニュースが世界に流れたとき,他の数学者は3回ショックを受けたと言うジョークがあります.1度目は証明されたことにショックを受け,2度めはそれが(予想外の)代数幾何学的アプローチであったことにショックを受け,3度目はその証明が理解できなかったことにショックを受けたと.

そして,望月先生が証明された(らしい)ABC予想を用いると,フェルマーの最終定理は比較的簡単に証明できるのです.フェルマーの最終定理が「ラスボス」だと思っていたら,もっと強いやつがいた…という感じです.

僕たちもこの証明を追いかけてみましょう.この証明は早稲田大学教育学部の守屋悦朗先生の説明をアレンジしたものです.

いま,フェルマーの最終定理が正しくないと仮定します.つまり3以上のnについて xn+yn=zn となるような自然数の組 x, y, z がなにかひとつでも存在したとします.もちろんそんな組は見つかっていませんし,未来永劫見つかることもないのですが,ここでは仮定の話として,見つかったことにしてください.最終的に,この仮定が間違いであること,つまりはフェルマーの最終定理が正しいことを導きます.

ここで a=xn, b=yn, c=zn と置き換えます.ABC予想の式にならって d=abc を計算します.素因数が重複する場合は取り除いておきます.(これを数学者は d=rad(abc) と書きます.)ABC予想によってcはいつも d↑2 よりも小さいはずです.つまり znd↑2 です.

d↑2 は (abc)↑2 と同じことですが,重複する素因数を取り除いているので,これは (xyz)↑2 と等しくなります.xyzよりも小さいので (xyz)↑2<(zzz)↑2=z↑6 が成り立ちます.(xyz)↑2 とは d↑2 のことなので,ABC予想から zn<(xyz)↑2<z↑6 が導けます.真ん中を抜くと znz↑6 ですね.nは3以上ですから,可能性としては n=3, 4, 5 の3通りしかありません.

一言で言えば「もしABC予想が正しく,フェルマーの最終定理が正しくないと仮定すると,その可能性はnが 3, 4, 5 の場合に限られる」となります.

ABC予想は正しいので,あとはフェルマーの最終定理が n=3, 4, 5 のときに「成り立つ」ことを証明すれば,3以上の任意のnでフェルマーの最終定理も成り立つことが証明できます.

そして n=3, 4, 5 のときにフェルマーの最終定理が成り立っていることが,数学史のかなり早い段階で証明されています.まず n=4 の場合ですが,これはフェルマー自身によって証明されています.フェルマー,もうちょっと頑張ってほしかった.

では n=3 の場合はどうでしょうか.こちらはやはりスイスの数学者レオンハルト・オイラーによって証明されています.さすが天才数学者ですね.

最後 n=5 の場合.これはかなり難しい証明だったようですが,フランスの女性数学者ソフィ・ジェルマン,ドイツのペーター・グスタフ・ディリクレ,フランスのアドリアン=マリ・ルジャンドルの3人によって証明されています.(18-19世紀フランスに生きたソフィ・ジェルマンは女性であるという理由で大学に入学できず,男子生徒の名前を勝手に使って無理やり入学しました.)

どうでしょう,ABC予想によって,フェルマーの最終定理が片付いてしまいました.

ABC予想は他にも多くの未解決な予想を片付けるようです.

古代アレクサンドリアのディオファントスが取り組んだ数学問題に端を発する数学分野を「ディオファントス解析」と呼びます.アメリカの数学者ドリアン・ゴールドフェルドはABC予想を「ディオファントス解析で最も重要な未解決問題」と呼んでいました.

京大の望月先生,ついに真のラスボスを倒しちゃいましたね.なお証明に必要だったページ数は723ページになるそうです.「ハリポタ」最終巻の「ハリー・ポッターと死の秘宝」の原著が640ページですから,それを上回る長さです.

昨年惜しくも亡くなったイギリスの数学者ジョン・コンウェイはワイルズの証明を「20世紀を代表する証明」と呼んだそうです.もしコンウェイが存命なら「ABC予想の証明」をどのように讃えたでしょうか.

足し算と掛け算の関係

共同通信社のニュースがABC予想を「整数の足し算と掛け算の関係にまつわるもの」と一言で片付けていましたが,間違いではありませんでした.そして,整数の足し算と掛け算の関係は,長い間人類を惹きつけています.おそらくこれからも.

文献に残る最古の関心は,ピタゴラスによるものでしょう.彼は6という数を「完全数」と呼びました.なぜかと言うと,6は 1, 2, 3 で割り切れますが,この 1, 2, 3 をすべて足し合わせると

1+2+3=6

で,自分自身に戻るからです.「6を約数(割り切れる数)に分解せよ,然る後にそれらを足し合わせよ,再び6を得られるであろう」ということですね.正確に言うと6の約数には6自身も含まれますから,約数の部分は「自分自身を除く正の約数」と言わなければなりません.

ピタゴラスはよく響く音階に整数比を見つけ出したことから,この世界は数学で記述できると信じました.そこから飛躍して,数学は神の創造物であると考えました.足し算と掛け算という数学の基本的な操作が「6」という数字で出会う,つまり

1+2+3=1×2×3

という関係は,まさに神性なものと思われたのでしょう.

28もよく知られている完全数です.28は 1, 2, 4, 7, 14 で割り切れます.これらの約数を足し合わせてみましょう.

1+2+4+7+14=28

再び28に戻ってきました.というわけで28も完全数でした.偶然にも月の満ち欠けがおよそ28日であることもあって,西洋では,28は6と並んで神聖な数とされました.

「そんな大げさな」「昔の人は馬鹿だなあ」「ただの偶然でしょう?」と思うのは早合点というものです.例えば,我々は「オイラーの公式」として知られているある数式を「最も美しい関係」と讃えます.その数式ではイコールの片側に幾何学から導かれた数(円周率)が,イコールのもう反対側には代数学から導かれた数(虚数)が書かれています.

そしてまた,足し算と掛け算の関係について,我々はあまりにも無知であるために,時々驚かされるのです.

そもそも我々は,素数について未解決な問題を大量に抱え込んでいるのです.2以上のどんな整数も,素数の掛け算で作ることが出来ます.つまり,素数は整数の「原子」のようなものなのです.しかし,この「原子」が足し算に対してどのように振る舞うのか,はっきりしない部分があります.「ゴールドバッハの予想」がまさにそれで「すべての3より大きな偶数はふたつの素数の和である」と予想されているのですが,証明はまだされていません.

アイザック・アシモフの推理小説「黒後家蜘蛛の会4」に収められた短編「六千四百京の組み合わせ」はゴールドバッハ予想を題材にしました.僕は中学生の時に夢中になって読んだ記憶があります.僕はこのシリーズが好きすぎて,アシモフの死後に発表された未発表作品集 “The Return of the Black Widowers” まで取り寄せて読んだのですが,これは失敗でした.彼が生前に発表しなかった理由はちゃんとあったわけです.おっと,話がそれてしまいました.

完全数の探索は紀元前から続けられており,2021年2月の時点で51個が見つかっています.しかし,完全数が無数に存在するかどうかについては,まだわかっていません.

素数に関して,まだ証明されていない予想は多数あります.あなたがもし若ければ,取り組んでみてはいかがでしょうか.若ければと言うのは,40を過ぎて数学に大きく貢献することが難しいという事情があるからです.数学のノーベル賞と言われる「フィールズ賞」も40歳以下という年齢制限があります.

ワイルズは非常にまれな例外で,フェルマーの最終定理を証明したときには42歳になっていました.彼の業績に対して,フィールズ賞の授与団体である国際数学者会議は「特別賞」を贈りました.

おすすめ書籍

17世紀,ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した.「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが,余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」以後,あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったが――.天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に,3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く,感動の数学ノンフィクション!
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僕はいつも,ニュースレターの他の部分を書き終えてから「おすすめ書籍」に取り掛かります.おすすめする本が,まだ読んでいなかった本だったり,最後に読んでから随分と時間がたった本であっても,ニュースレターを書き終えるまではお預けにしておきます.こうすることで,書籍の内容に引っ張られずに,僕の文章が書けると思うからです.もちろん,おすすめ書籍を読んでみて僕の間違いに気づいた場合は,ニュースレター発行前に訂正します.

今週号もまた,ニュースレターを一通り書いてから本書を読み始めました.いや,本当に読む前に書いておいてよかったです…本書の躍動するリズム,精緻な文章,まるで見ているかのような臨場感に,僕はすっかり打ちのめされました.これだけの文章を読んでしまったら,恥ずかしくて自分の文章なんて書けへんわっ!と,ものすごく凹みました.

いや,僕の心情はどうでもよろしい.ともかく,内容が素晴らしいのです.サイモン・シンは元物理学者でジャーナリストに転向した経歴の持ち主です.彼はフェルマーの定理を一点の間違いもなく,かつわかりやすく,説明しますが,それは入り口に過ぎません.フェルマーの定理にまつわる数々の歴史を,豊富な資料を元に様々な切り口で語りかけてくるのです.それは,僕の貧弱なボキャブラリを駆使して言えば「カラフル」なものでした.

本書のクライマックスは,サイモンがワイルズを直接取材するところでしょう.もちろん,サイモンがワイルズの証明を理解できたとは思えません.それでも気むずかし家のワイルズがサイモンに心を開き,パズルの最後の1ピースが見つかったときの瞬間,数学者にとっての「美しい瞬間」のことを,心を砕いて話すのです.

僕はまさか,数学史の本で泣くことがあるとは思ってもみませんでした.

もうひとつ,これは翻訳者の青木薫さんが指摘されていたことなのですが,サイモンのマイノリティに対する公正な目線もまた,本書を他の科学史ものから際立たせています.

きっと夢中になりますよ.

おすすめTEDトーク

今週は2本のトークを紹介させてください.

TED

TED

フランス人数学者セドリック・ヴィラニ.洒落者で,フレンチアクセントの英語で,少し鼻につく話し方をする「いかにも」なフランス人.数学の何が「セクシー」なのかを熱弁してくれます.彼はこう言います.

「我々の直感を超えたところにある,知覚では理解しがたいものを,数学は探索させてくれる」

アルベルト・アインシュタインは,水中に浮かぶ微粒子が「ランダムウォーク」する(不規則に揺れる)理由を分子の熱運動だと突き止めました.これはまさに数学の力でした.これは「分子が存在すること」の,初めての「目視」での証明になりました.

そして,おすすめ書籍でも紹介した「美しい瞬間」へと話が進みます.この成果によって彼はフィールズ賞を受賞します.

もうひとつ,森田真生のトークをご紹介させてください.彼は日本の数学者,岡潔(おかきよし)について語ります.岡潔は謎の人物で,なにかとてつもないことをしたことは確かなのですが,それが何なのかを僕は知らなかったのです.森田真生さんは,その岡潔の業績のエッセンスをトークの中で紹介してくれています.

岡潔のメッセージを一言で表すと「数学とは情緒だ」ということ.余計わからなくなって来たかもしれません.ただ,ワイルズや望月先生を突き動かしていたもの,足し算と掛け算の関係が,ひょっとしたら情緒だったのかもしれないと思うと,ほっとしませんか.セドリックのトークと併せて見ていただくと,より強く感じられると思います.

このトークは2012年のTEDxKyotoという,京都版TEDの第1回目で披露されたものです.このイベントで,僕はキュレータ,舞台プロデューサ,スピーカーコーチ,電気エンジニア,司会者などなどを兼任していたために,大変な思い入れのあるトークになりました.

Q&A

匿名質問サイト「マシュマロ」および実名質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.

今週は数学の話ばっかりでしたので,もっと世俗的な話を…Quoraでこんな質問を頂きました.

豚汁を毎日作ると食費がかさみますか?
Quora

1週間ほど毎日豚汁を作ったことがあります.豚汁だけでおかずになるので,食費の変化はさほどなかったように記憶しています.

いえ,そんな事はどうでもいいんです.

僕の経験から言えば,食費をケチると巡り巡って医療費が嵩むことになります.それに,たとえプラスマイナスゼロでも,健康の方が良いじゃないですか.

食費は医療費の前払いと思って,ケチらない事をお勧めします.

こちらの匿名質問サイトで質問を受け付けています.質問をお待ちしております.

振り返り

このニュースレターでは「振り返り」ポッドキャストを公開しています.

先週の【第11号】では世界地図の話題をお届けしました.世界地図のデザインは本当に面白いですね.世界地図は地球の様子を正しく反映し(科学的に正しく),実用に耐え(技術的に有効で),再現性が有り(工学的に妥当で),美しく(ファインアートとして鑑賞に耐え),社会倫理的に正しく(リベラルアーツを踏まえ),幾何学(数学)として説明可能でなければならないのです.まさにSTEAM(科学・技術・工学・アート・数学)の結晶のような仕事ですね.

アップルのポッドキャストにも対応していますので,アプリ内で「STEAM NEWS」を検索してみて下さいね.

あとがき

東日本大震災から10年が経ちました.あの日,僕は東京・田町の芝浦工大の会議室にいました.新しい建物だったので,激しい揺れは体験しなかったのですが,周囲は大きく揺れたようでした.実はその時,東芝の研究者と一緒に居たんですよ.震源地や被災規模の状況もわからない状況のなか,彼はすぐさまラップトップで会社のシステムにログインし,原発をモニタしようとしたんですね.しかし,その時点ですでにネットワークが切断されていたようなんです.僕はその時はまだ原発事故に想像がおよんでいませんでしたが,少なくとも現場の研究者,技術者は最悪の事態をその時点で想定していたんでしょうね.

僕はどういうわけかその日は五反田に宿をとっていて,運が良かったことに田町〜五反田だけは移動が出来たんですよね.阪神淡路大震災の教訓を生かして,風呂に水を張り,ドアを開けて,靴を履いたまま寝ました.翌日,たまたま教え子も東京に出張に来ていたので,彼女をピックアップして,こだまで大阪まで帰りました.

3月11日の深夜(3月12日になっていました)に,次のようなツイートをしていました.

いち🏳️‍🌈
@kanaya
ホテルの窓を開け,バスタブに水を張り,アメニティグッズを鞄につめて枕元に置き,携帯電話を充電し,靴を履いて寝ます.
2011/03/11 15:05
2Retweet 1Likes

僕はうまく脱出出来ましたし,生活基盤への影響も軽微だったのですが,不幸にも被災されたかた,亡くなってしまったかたには心よりお見舞い申し上げます.

 こういう災害を防ぐには,人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか,ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい.そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう.しかしそれが出来ない相談であるとすれば,残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう.

こう述べたのは,明治生まれの科学者,寺田寅彦です.彼の業績や,自然災害に関する話題もいつかこのニュースレターで取り上げたいと思います.

ところで,僕は今週のおすすめ書籍でご紹介したサイモン・シンの他の著作にもはまりまして,いま片っ端から読んでいるところです.「代替医療解剖」は日本では大変一般的な「鍼治療」についても1章を割いて取り上げています.とても興味深いので,こちらもおすすめします.本書の冒頭に,古代ギリシアのヒポクラテスの言葉があるのです.

科学と意見という,二つのものがある.前者は知識を生み,後者は無知を生む.
ヒポクラテス

このニュースレターもまた,読者の皆さんの知識を生むものでありたいと思っています.

では,また来週お目にかかりましょう.

***

ニュースレター「STEAM NEWS by Ichi」

発行者:いち(金谷一朗)

TEDxSaikaiファウンダー・パイナップルコンピュータ代表・長崎大学情報データ科学部教授

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