ラプラスの悪魔【第105号】
【140字まとめ】フランス革命を生き抜いた科学者ピエール=シモン・ラプラスが残したアイディア「ラプラスの悪魔」をご紹介します.もし,究極の知性あるいは悪魔が,この世のすべての物質の状態と,その物質に作用する力とを知っていたとすると,その知性は完全に未来を予測できるというアイディアです.
STEAM NEWS はメールで毎週届くニュースレターです.国内外のSTEAM分野(科学・技術・工学・アート・数学)に関するニュースを面白く解説するほか,今週の書籍,TEDトークもお届けします.芸術系や人文系の学生さんや教育関係者の方,古代エジプト好きな方にとくにおススメです.
いちです,おはようございます.
イーロン・マスクがツイッターに大鉈(なた)を振るっています.メディアとしてのツイッターから,もう一度SNSとしてのツイッターへ戻っていくような雰囲気を感じます.とは言え,2010年前後のまだ登録者数が少なかった頃のツイッターには戻れないでしょうし,どうなるのでしょう.
ツイッター社には7,500人の従業員がいたそうですが,イーロンは5,000人規模の人員削減を行ったようです.こうなるとツイッターというサービスの存続も厳しいかもしれませんね.僕も避難先を作っているのですが,冷静になってみると,いったい何から避難しようとしているのかがよくわかりません.
と,そんなことを書きながら恐縮ですが,相変わらずツイッターで「STEAMコミュニティ」をやっています.こちらは「平和なツイッター」ですので,よかったら遊びに来てください.
さて,今週はフランスの科学者ピエール=シモン・ラプラスの話題です.

ピエール=シモン・ラプラス
そんなラプラスさん,どうやら生きる名人でもあったようなのです.
【お知らせ】ツイッターで「STEAMコミュニティ」を運営しています.ときどき裏話をつぶやいています.ツイッターアカウントをお持ちの方は是非ご参加ください.
《目次》
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ピエール=シモン・ラプラスが生き抜いた世界
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ラプラスの悪魔
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神はルーレットを回す?
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今週の書籍
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今週のTEDトーク
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Q&A
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一伍一什のはなし

ピエール=シモン・ラプラスが生き抜いた世界
1794年のフランスで,ひとりの偉大な化学者が処刑されました.フランス革命によって設置された革命裁判所が「近代化学の父」アントワーヌ・ラヴォアジエ(Antoine-Laurent de Lavoisier)に死刑判決を下したのです.ラヴォアジェはフランス国王ルイ16世のもとで科学アカデミー会員,国家財政委員,徴税請負人をしていたため,革命政府に自首しました.弁護人はラヴォアジエの科学的業績を訴えましたが,裁判長は「共和国に科学者は不要」と言って彼をギロチン台へ送りました.
1794年にフランスで科学者として生きるということは,ピアノ線の上を音速で綱渡りするようなものだったのでしょう.なにせ革命の旗手マクシミリアン・ロベスピエールによる恐怖政治の真っ只中だったのですから.なおロベスピエール自身もラヴォアジエ処刑の2か月後,「テルミドール9日のクーデター」で処刑されていますから,ラヴォアジエももう少し逃げ回っていれば……とも思ってしまいます.
ラヴォアジエについてはいずれ取り上げたいと思っていますが,とても興味深い参考文献「ラヴワジエ夫人:化学革命の女神か?」がありますので,気になる方は開いてみてください.
そんな激動の中を生き抜いたフランス人科学者のひとりに,ピエール=シモン・ラプラスがいます.
彼はフランス革命前から,天文学,地学,数学において多大な貢献をしていたのですが,フランス国王とは距離をおいて一切政治に関与せず,科学アカデミーに入会することもありませんでした.そのためロベスピエールによる恐怖政治も見事に「スルー」することができたようです.

エジプト遠征中の上司
しかし,エジプト遠征中だったナポレオン・ボナパルトが1799年11月9日に「ブリュメール18日のクーデター」を起こしてフランス政府トップ(第1コンスル,第一執政)となると,ナポレオンはラプラスをフランス内務大臣に指名します.現代の日本で言えば,総務省と警察庁と国家公安委員会をあわせたような組織になりましょう.ストレスで死んでしまいそうです.しかも上司がナポレオン・ボナパルトですよ.イーロン・マスクよりも話が通じなさそうです.
こんなハードコアな職場に叩き込まれたラプラスですが,飄々と生き抜いて,いや息を抜いて,サバイブしてしまいます.このときナポレオンは30歳,ラプラスは50歳でした.
ナポレオン・ボナパルト自身がラプラスについて,晩年に次のように述べています.
第一級の「数学者」であるラプラスが,平均よりも悪い行政官であることを示すのに時間はかからなかった.彼の就任後の最初の行動から,我々は間違いに気づいた.ラプラスはどんな問題も正しい「角度」から捉えず,いたるところに微細構造を見つけ,問題ばかりを考え付き,ついには「無限小」の精神を行政に持ち込んでしまった.
ナポレオンもなかなかの数学者ですね.
ナポレオンが皇帝になると,ラプラスは伯爵(count)に叙せられ,元老院議員にもなっています.興味深いのは,ナポレオン失脚後のフランス王政復古の時代にも,ルイ18世の元でラプラスは侯爵(marquess)に叙せられているところです.むしろワンランクアップですね.
ラプラスは世渡りが上手だったというよりは,うまく距離を置くのが上手かったのかもしれません.「三十六計逃げるに如かず」とはよく言ったものです.
ラプラスの悪魔
悪魔のようなムーブで激動のフランスを生き抜いたラプラスですが,彼はまた「ラプラスの悪魔」という一種の世界観でも知られています.ラプラスの悪魔とは「この世のすべてを知っているため,未来をすべて予測できる存在」のことです.
ラプラスは1814年の書籍で次のように述べています.(Wikipedia日本語版では1812年となっていますが,おそらく1814年の誤り.)
宇宙の現在の状態は,その過去の結果であり,その未来の原因であると考えることができる.ある瞬間に自然を動かすすべての力と,自然が構成するすべてのものの位置を知る知性は,もしこの知性がこれらのデータを分析にかけることができるほど広大であれば,宇宙の最大の天体の動きと最小の原子の動きをひとつの式に包含するだろう.このような知性にとって不確かなものはなく,未来は過去と同様にその目の前に存在するのである.
ラプラスが言いたかったのは,ありとあらゆる物質の現在の状態と,そこにどのような力が加わっているかをすべて知ることができれば,決定的に未来を予測できるということです.
ラプラスの時代に知られていた物理学は,ものすごく簡単に言うと,次のような方程式で書かれていました.
(少しだけ先の未来の状態)=(いまの状態)+(1秒あたりの変化)×(少しだけ先までの秒数)
足し算と掛け算ができれば,少しだけ先の未来のことがわかるのですね.ちなみにこの時代の物理学で「状態」と言えば「位置」と「速度」のことです.実際,この方法で天体の運行を驚くほど正確に予測することができました.(理工系出身の方は (d/dt)p=F という式を解くところを想像してください.解は p=p₀+Ft となります.)
なお,この方程式を見つけたのはイギリスのアイザック・ニュートンで,ラプラスはその科学的貢献から「フランスのニュートン」と(フランス人以外からは)呼ばれていました.
ありとあらゆる物質の状態を知ることも,すべての力を知ることも現実的には難しいのですが,もしそのような「悪魔(demon)のような」知性がいたら,その悪魔は未来を100パーセントあてられるはずだ,というのがラプラスの主張です.我々が未来を予測できないのは,単に無知なだけだというわけですね.

デーモン(daemon)のイメージ(FreeBSD Project)
ラプラス自身は「悪魔(demon)」という言葉を使っていませんが,イメージとしては「人を超えたもの」「裏で差配するもの」といった「デーモン(daemon)」のほうが近いのかもしれません.
神はルーレットをまわす?
そんなラプラスの悪魔ですが,現在の物理学ではどのように考えられているのでしょうか.
20世紀初頭に量子力学が急速に発展すると,物理的な「状態」の意味が変わってきました.我々はもはや,位置や速度を正確に知ることはできないのです.したがって,量子力学が扱うミクロの世界にはラプラスの悪魔はもういないのです.
ミクロの世界にラプラスの悪魔がいないことをもって,たとえば我々の「自由意志」の証明だと考える哲学者もいます.しかし,これは論理の飛躍です.ミクロの世界では偶然が積み重なって必然が生まれており,マクロの世界では必然が積み重なって偶然が生まれているのです.
ルーレットでどの数字がでるかは,ボールとポケットの物理状態と,ボールに加えられる力を事前にすべて知っておけば,完全に予測可能だと考えられます.ボールとポケットの状態はラプラスの時代の物理学,つまりはニュートン力学にしたがっているので,初期条件を正確に知ることができれば,結果も知ることができるのです.
ルーレットが物理法則にしたがっている証拠として,リヒャルト・ジャレッキー医師を挙げておきましょう.彼はルーレットをハックして一財産を築きました.彼が駆使したのは統計学でしたが,記者に秘密を聞かれたときに「ラプラスの悪魔」を匂わせました.
小さな悪魔はもういないのですが,大きな悪魔はまだいるかもしれません.
ラプラスとナポレオンの間には,真偽不明なもののこんな会話があったと言われています.
ナポレオン:ラプラスよ,あなたは宇宙の仕組みについてこのような大著(天体力学論)を書いたのですが,その創造主については一度も触れていないと聞きましたよ.
ラプラス:ああ,私にはそんな「仮説」は必要なかったんですよ.
ラプラスがもし量子力学を知ることがあれば,どのような解釈をしたでしょうか.
ラプラスは1827年にパリで亡くなります.77歳でしたから,天寿を全うしたと言えるでしょう.彼の脳は取り出され,しばらくの間展示されていました.
今週の書籍
Web3.0,量子コンピュータ,暗号技術,半導体など,次世代技術に不可欠な理論はすべて物理学にある.それを理解するには,少なくとも「量子力学」は必須常識だろう.仕事の最前線にいるビジネスパーソンは今,広範囲な「教養」が必要とされている.そういった観点で書かれ,「難しくない」レベルまでに落とし込んだ,「新しいビジネス教養」としてまとめたのが本書である.YouTubeでは意外にも「物理学」が安定した人気を誇り,かなり専門的なテーマでも観られる傾向がある.ビジネスパーソン必須のリベラルアーツだ.
物理学者って格好いいと思えるエピソードや考え方がぎっしり詰まった本です.
リラックスした文体ですし,スマホのKindleアプリでも読めるので,お風呂で読むのも良いと思いますよ.
今週のTEDトーク
人は自分の意志で選択をしているのでしょうか? そうではないことがマジックで分かると科学者でイリュージョニストのアリス・ペイレスは言います.脳がどう機能しているか,どんな形で小さな影響を受けるのか,それが自由意志と日常生活にどう結びつくのかを明らかにする,彼女のトリックをじっくりとご覧ください.彼女はあなたが選んだカードを当てられたでしょうか?
ラプラスの悪魔は,我々が自由意志を持つのかという問いを投げかけます.
というわけで,自由意志に関するおもしろいTEDトークをご紹介しました.
Q&A
匿名質問サイト「マシュマロ」および質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.
今週はこちらのご質問から.
教授を怒らせてしまったことはありますか?
心配するな,君だけじゃない.
このレターの最後に匿名質問サイトへのリンクを貼っています.質問をお待ちしております.
一伍一什のはなし
先週金曜日は,長崎大学情報データ科学部の社会人向け講義「IT先端技術応用講座テクノ・スクランブル」で2時間近く喋りました.講義資料が徐々に揃ってきましたので,改めて動画を撮っておこうかなと思っています.ひょっとしたら,オンライン市民講座みたいなウェブサービスを作るかもしれません.
11月23日勤労感謝の日には,大学の学生達と長崎県美術館へ「ピカソ展」を見に行っていました.エルサレムのイスラエル博物館のコレクションから130点が一挙に展示されているんです.これがもう圧巻すぎて,危うく絵に向かって柏手を打つところでした.
2023年1月9日まで展示されていますから,ピカソがお好きなら,こちらを目当てに長崎旅行されても良いのではないでしょうか.
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今週も最後までお読みいただきありがとうございます.メールでお読み頂いた皆様は,よろしければボタンを押して行ってくださいませ.(ボタンは匿名化されています.集計したデータはこのニュースレターの内容改善以外には用いません.)
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では,また来週,お目にかかりましょう.
ニュースレター「STEAM NEWS」
金谷一朗(いち)
TEDxDejimaStudioファウンダー・パイナップルコンピューター代表・長崎大学情報データ科学部教授
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