☆「ん」のノート【第50号別冊】

書き終えた瞬間に泣いた理由
金谷一朗(いち) 2021.11.24
誰でも

いちです,おはようございます.

STEAMニュース別冊です.通常は「STEAMボート乗組員」(有料購読者様)限定でお届けしているのですが,今号は【第50号別冊】を記念しまして,全ての乗客(無料購読者様)にもお送りすることにいたしました.

さて,この別冊では本誌【第50号】でお伝えした「日本語には『ん』が無かった?」について,執筆時に参考にした情報をまとめます.未読の方は是非第50号にもお目通しください.

別冊はもっと勉強したい方向けの「足がかり」や余談としてお送りするものです.お時間のある時にお楽しみ頂ければ幸いです.

書き終えた瞬間に泣きました

ニュースレターを執筆するときは,だいたいはオチというか締めくくりを先に考えています.僕のレターはぽんぽんと話題が飛びがちなのですが,いつも最後の着地点だけは考えています.しかし【第50号】を書いていたときは,どこへ着地するのか,書いている僕でもわからなかったんです.

最後のパラグラフで,空海が「ん」の中に込めた想いを書いたときは,自然と指がタイプしていました.そして,その文章を読み返した瞬間に,突然,空海からの贈り物に気づいたような衝撃を受けたんです.

空海は,これは僕の想像,いや妄想に過ぎないかもしれないのですが,この三つの問いに答えを出していたのかもしれません.彼はその類い希なる筆で「美しさ」の基準をエンジニアリングし,真言密教によって「愛」をハックし,そして「世界は美しい」ことを日本語の中に永遠にハードコードしたのです.
日本語には「ん」が無かった?(一部修正)

まったくの直感なのですが,その瞬間,空海のこころに直に触れたような気がしました.いや,むしろ「気が触れた」のでしょうね.

書いた瞬間に,わんわん泣きました.

不思議な体験でした.

空海が唐(中国)へ旅立った最後の港を,僕はときどき訪れます.もうこの先にはしばらく島はなく,日本人もいません.乗り込む船は小さく,航海士はなんと占いで進む方角を決めます.彼は文字通り命懸けで,密教を日本へ持ち帰ろうとしたのです.

三井楽長崎鼻(長崎県五島市,筆者撮影)

三井楽長崎鼻(長崎県五島市,筆者撮影)

空海が見た空と海は,1,200年経った今も変わらずそこにあります.もし彼の「挑戦」を肌で感じたいという方がいらっしゃれば,ご案内しますね.

さて,ニュースレターの締めくくりをこのままにしておくのは大阪人の心意気ってものに反します.しばらく考えて,1パラグラフ分のオチを入れました.

日本人は考え事をするときに「んー」と言いますよね.欧米圏では嫌われることの多いこの習慣ですが,ついやっちゃったときは「ごめん,いま金剛界に行ってた」と言い訳をしてください.
日本語には「ん」が無かった?

Technology x Art x Design (2011) の裏話

京都で開催した Technology x Art x Design (2011) というイベントですが,元々はアメリカのTEDカンファレンスの「ぱくり」を意図していたんです.なので,略すと「TAD」になるようにテクノロジー,アート,デザインと単語を並べてみました.

この当時,日本ですでにいくつか,公式にTEDからライセンスを受けたカンファレンスがありました.TEDxTokyo(東京)とか,TEDxSeeds(横浜)とかですね.僕たちもTEDへライセンス申請を考えていたのですが,悩むより行動という原則に従って,先にイベントを企画しました.

その後ツイッターで立命館大学准教授(当時)のジェイという人物が「TEDxKyoto」のライセンスを取得したという情報を見つけました.僕は早速ジェイにメッセージを送ったんです.「なあ,俺たちもう始めちゃったよ?」て.

ジェイはリーダーシップとは何かを知っている人物で,僕たちにこう声をかけてくれました.それは心強い,一緒にやろうと.

株式会社はてなCEO(当時)の近藤淳也さんも合流して,2012年からTEDxKyotoと関連イベントを実施することになりました.

思い出深いトークや出来事は山のようにあります.サヘル・ローズのこのトークの時には,舞台袖で「ぎゃん泣き」しました.トークの直前にちょっとしたミスがあったので,ジェイがしきりに「誰にでも過ちはある (anyone can make a mistake)」と慰めてくれたのを思い出します.ちゃうねん,感動で泣いてるねん…

リベラルアーツは人間のOS

最近,改めて重要性が盛んに言われている「リベラルアーツ」教育ですが,かつては「教養教育」と呼ばれたり,さらに昔は「自由七科」とも呼ばれていました.「教養」だから「専門科目」に比べたら簡単だとか「自由」だから好き勝手に学べばいいという誤解が生じがちですが,本来「リベラルアーツ」は人間が生きていく上での「OS」のようなものです.

スマホにiOSやAndroidがあるように,パソコンにWindowsやmacOSがあるように,それ無しではどんなアプリも動かないような基本ソフト,それがOSです.

そして,生きていく上で絶対に必要なのがリベラルアーツなのです.

リベラルアーツはかつて自由七科と呼ばれたように,もともとは七つの科目から出来ていました.それらは,文法学(グラマティケ),論理学(ディアレクティケ),修辞学(レトリケ)の3科目と,算術,幾何,天文,音楽の4科目に分けられます.リベラルアーツ教育では,とりわけ最初の3科目を「トリウィウム」と言って「基本中の基本」と考えます.

文法を知っていれば,人の話す言葉を解釈することができます.論理を知っていれば,その言葉が意味するところを理解することができます.修辞を知っていれば,自分の理解を人へ伝えることができます.それゆえ,この3科目が基本中の基本な訳ですね.

ものすごく個人的な見解なのですが,最澄はトリウィウムを大変に忠実に実践し,また教えていった人だと思います.一方の空海は,そのもっとコアな部分にアプローチしようとしたのだと,僕には感じられます.最澄には,学問を世界に広める方法が,空海には,学問は永遠にこうあるべきという姿が,見えていたのかもしれません.ここらへん,黎明期のIBMとアップルコンピュータに似ているかもしれません.IBMはコンピュータを世界中に広める方法を発明し,アップルコンピュータは人間とコンピュータのあるべき関係を当初から見据えていました.

「鳥」と「烏」は同じ文字?

コンピュータは英語圏で発明されたため,長い間文字と言えば英数字のことでした.仲間はずれにされたのは日本語だけでなく,ヨーロッパの言葉もことごとく放置されていました.

そこで,日本のように話者の多い国では独自の文字コードが生まれていくことになります.文字コードというのは,文字と数字の対応付けです.英数字の場合は,大文字小文字,多少の記号も混ぜて127文字に収まっていました.ところが日本語となると「常用漢字」だけで2,136字があり,これにひらがな,カタカナも入ってきます.日本産業規格(JIS)では,日本のコンピュータで使われる文字として1万1,233字を集めています.

日本や中国のような非英語圏の各国が独自に文字コードを持ってしまうと,例えば日本語OSで作成されたファイルを中国語OSで閲覧すると「文字化け」するような問題が放置されてしまいます.そこで,世界中の文字コードを統一しようという活動が1980年代から起こりました.これが後のUnicode(ユニコード)です.当初は英語圏主導だったこと,まだコンピュータやプリンタの性能が今ほどは無かったことから「地球上の文字全部集めても6万字に収まるよね?」「アジアの漢字はひとまとめにしちゃえ」「鳥と烏は一緒で」みたいな議論もあったようです.実際,日本で売られていたプリンタでも「鳥」と「烏」が一緒だった機種が普通にありました.

一方で,本来は同じ文字でありながら「異字体」が広く受け入れられている場合もあります.芸術を「藝術」と書く場合がありますが,この「芸」「藝」は異字体の関係にあります.異字体は本来同じ文字なのですから,同じ番号(コード)を割り振るべきという議論と,それでは不便だから別の番号(コード)を割り振るべきという議論と両方があります.例えば「吉野家」の「吉」の字は,商号では「土よし」(𠮷)と呼ばれる異字体を使うことになっています.「吉野家」と「𠮷野家」は違うという主張もたまにネットで見かけます.しかしJIS規格では「ツチヨシは吉の異字体だから別のコードを割り当てない」ということになりました.

当初は字面だけ揃えておけという発想だったUnicodeですが,日本人委員の尽力もあり,歴史的経緯を踏まえて,出来るだけ一つの文字にに一つの文字コードを割り当て,異字体同士には同じ文字コードを割り当てる方針になっていきました.

Unicodeに収録される漢字は随時アップデートされており,こちらでそれらの文字の登録理由も含めて調べることが出来ます.

「土よし」は2001年に「拡張漢字B集合」のひとつとしてUnicodeに追加され(てしまい)ました.この「拡張漢字B集合」はやや雑ではなかったかと,今でも議論があります.異字体に違う文字コードを割り当ててしまうと,検索するときに困るからです.例えば「吉野家」と「𠮷野家」は違うコード列になりますが,意味は同じですよね.

というわけで,本質的に同じ文字は同じコードを,異なる文字は異なるコードを割り当てていくことは非常に難しいながら,言葉の未来を決める重大なことなのです.

平安時代,何種類もあったであろう「ん」の音を究極の「ん」へと導いていった空海は,日本語の未来も決めていたのですね.

サンスクリット語のUnicode

Unicodeにはサンスクリット語も含まれています.「ん」の元になったと新井白石が主張した記号は,以下のリンクに書かれています.

立誠小学校の跡地

京都の立誠小学校についてはWikipediaに記述があります.

跡地についてはこちらにニュース記事がありました.

空海の土木工事と吽字義

空海の土木工事に関して,次の記事を参照しました.

http://www.zenken-wakayama.jp/common/pdf/kukai.pdf

吽字義に関するブログ記事がこちらにありました.

服部四郎

服部四郎に関しては軽く検索したに過ぎないのですが,Wikipediaの記載が面白かったのでご紹介しておきます.

音韻の統合

異なる音韻が一つの音韻へと統合されることは,言葉の歴史の中でよくあることのようです.日本語では次の例が有名です.

紀州弁では「ざ行」と「だ行」の音が統合されているため,日本で最も進んだ言葉と言えるかもしれません.

目次を追加してみました

【第50号】から記事の冒頭に目次を置いてみることにしました.

僕は記事のタイトルや見出しを考えるのがどうにも下手なので,あえて手動で目次を書き出すことにしてみました.最初に書いた見出しはもう下手すぎて,目次を見ながら見出しを書き直したんですよね.手動でも自動でもいいので,目次「だけ」見てみる訓練は大事ですね.

逆に「目次なんていらないからすぐに本文を読ませろ」というご意見もあろうかと思います.しばらく試行錯誤してみますね.

先週からニュースレターを成長させるためのパーソナルトレーニングを受けることにしました.タイトルの付け方,興味を持ってもらうテーマ設定など,いい勉強になっています.

いつも思い出すのは,ダンサーのジェシカさんが先生から言われた一言.

I’m always gonna be a student.

(翻訳)僕はいつだって生徒さ.

僕もいつだって生徒でいたいと思います.彼女のTEDxトークも是非聞いてみてくださいね.

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ニュースレター「STEAM NEWS by Ichi」

発行者:金谷一朗(いち)

TEDxSaikaiファウンダー・パイナップルコンピュータ代表・長崎大学情報データ科学部教授

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