【第4号】国境線の測量から見つかった美の本質
いちです,おはようございます.
明日から大学入学共通テストが始まります.僕たちは壱岐の試験会場に来ています.受験生の皆さん,どうか落ち着いて受験してください.電車が遅れたとか,極端な話,道中で痴漢にあったとか「自分のせいじゃない」遅刻の場合は必ず救済措置が取られ,正規の試験時間が確保されますので,焦らず試験会場へ連絡してください.お身内に受験生がいらっしゃる皆さん,受験シーズンはまだ続きますが,いましばらくご協力をお願いいたします.
また今年はコロナ禍の中での試験実施ということで,第2日程も組まれています.体調不良の場合は,当日でも第2日程への振替が可能です.また受験途中からの振替も可能です.受験案内をよくお読みの上,ご判断下さい.もし試験会場で体調不良になった場合は,たとえ試験中であっても遠慮なく試験監督に申し出て下さい.
今週は雪が積もった地域も多かったようですね.というわけで,今週は雪の結晶にまつわるお話をしたいと思います.

雪の結晶

Alexey Kljatov, CC BY-SA 4.0
写真のような雪の結晶のことを雪片(せっぺん)と言います.雪片の形は80種類にも分類されるそうですが,有名なのは「雪印」で有名な6方向に結晶が伸びた形でしょう.また雪片を表現する「文字」も世界的な文字コード規格であるUnicodeで決められています.欧米ではクリスマスを意味するシンボルとしても使われるようですね.
実は,ある意外な研究と,この雪片の形とが結びついています.
国境線の長さが違う!
スペインとポルトガルは国境を接した国同士です.20世紀初頭,両国はそれぞれ国境線の長さを測量しました.その結果,スペイン側の測量は987km,ポルトガル側の測量は1,214kmでした.なぜ同じ国境線を測量したのに,大幅に異なる結果になったのでしょうか.実はこのような食い違いは珍しいことではなく,同じく国境を接しているオランダとベルギーでは国境線の長さをそれぞれ380kmと449kmとしていました.この食い違いは,イギリス人気象学者のルイス・フライ・リチャードソンによって調査されました.
リチャードソンの主張はこうです.国境線や海岸線の長さは,細かく測量すればするほど長くなる.これは我々の直観に反するので「海岸線のパラドックス」と言います.例えば,イギリスを構成するグレートブリテン島の海岸線を100km単位で測ると約2,800kmですが,50km単位で測ると約3,400kmとなります.この問題を精緻に考え直したフランス人数学者ブロワ・マンデルブロは1967年に「イギリスの海岸線の長さはどのくらいか?」という論文を書きました.この論文は「フラクタル幾何学」の始まりでもありました.
マンデルブロは,境界線が無限の長さになる図形の一つであるフラクタル図形を考え出しました.厳密に言えば,国境線や海岸線はフラクタル図形ではありません.しかし,フラクタル図形に近いので,測量の細かさによって長さが変わってしまっていたのでした.
フラクタル
フラクタル図形を厳密に定義することは難しいのですが,例を挙げることは難しくありません.図形の部分と全体が相似形になっているものは,フラクタル図形の一種です.次の図に示した「マンデルブロ集合」と呼ばれる図形(下図)は,境界を拡大すると,また同じ形が現れます.これを自己相似と呼びます.マンデルブロ集合をコンピュータで描き出すには恐ろしいほどの計算量が必要だったので,かつてはコンピュータの性能を測るベンチマークとして使われていました.

Created by Wolfgang Beyer with the program Ultra Fractal 3., CC BY-SA 3.0
海岸線は自己相似した図形の一種であると言えます.もちろん完全な自己相似ではありませんが,それに近い図形でした.自然界には,自己相似した図形がよく見られます.例えば雪の結晶もそうですね.雪の結晶に似せた幾何図形に「コッホ雪片(コッホ曲線)」という図形があります.
コッホ雪片は,途中のステップを示すことができます.
ステップ1.ただの三角形です.

ステップ2.ダビデの星みたいになりました.

ステップ3.少し雪片ぽくなってきました.

ステップ4.もう雪片の形ですね.

このまま続けていくと,雪片そっくりになっていきます.ステップ7の形を見てみましょう.

コッホ雪片が示すところは,シンプルなルールの繰り返しで複雑な図形が生まれること,そして,それが自然界をよく模倣することです.あれ,どこかで聞いたことがあるなと思った方は相当鋭いです!そう,このニュースレターの【創刊号】「数学と芸術のあいだ」でお話しした,ジョン・コンウェイのライフゲームと同じ仕組みなんです.
Lシステム

Solkoll
リンデンマイヤーシステム(Lシステム)というコンピュータ技術があります.図はLシステムで生成したコンピュータグラフィックスの例です.Lシステムはコンピュータ技術ですが,これは一種の言語体系と呼んだほうが正確でしょう.実際,言語学者ノーム・チョムスキーの定義に従えば,Lシステムは文法の一種です.
Lシステムの非常に単純な例を見てみましょう.最初のステップは
A
という文字だけの文章があります.ここに二つのルールを当てはめていきます.そのルールとは
ルール1: Aを見つけたらABに置き換えるルール2: Bを見つけたらAに置き換える
の二つです.
最初の文章(A)は,ルール1に従って
AB
になります.次にルール2に従って,1文字目(A)はABに,2文字目(B)はAになりますから,文章は
ABA
になります.次の世代では,文章は
ABAAB
になります.この作業は無限に続くことになります.これがフラクタルを「文」で表現するひとつの方法です.「単語」AおよびBを図形要素に置き換える,例えばAを幹,Bを枝のように置き換えていくと,フラクタル図形になります.
自己相似曲線
「曲線の一部を拡大すると元の曲線の性質が現れる」という法則に従う曲線を「自己相似曲線」と呼びます.この自己相似曲線,実は自然界にも,そして人間が描くドローイングにも現れます.そして,人間はそれを「美しい」と感じる習性があります.
まずは自然界のフラクタルの例を示しましょう.なお,これらの形態は,一般的に言われているような「完全なフラクタル」ではありません.強いて言えばフラクタル「ぽい」形です.
-
山
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雲
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雷
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波
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木
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ロマネスコ(野菜)
これらは完全なフラクタルではないにせよ,フラクタル「ぽさ」を持っています.その性質を利用して,コンピュータグラフィックスで山や雲を描くときにマンデルブロ集合やLシステムの応用を用いることがあります.例えば【創刊号】で紹介したクリスタ・ソムラーの作品はLシステムを使っています.
また,気づきにくいかもしれませんが,デザインに使われる曲線定規も自己相似しています.代表例はトヨタ自動車のデザインでしょう.なめらかな曲線に見えますが,数学的には自己相似しています.ほかに,iPhoneのホーム画面に置かれるアイコンの角の丸みもまた,自己相似する曲線が使われています.
おすすめ書籍

本書の紹介を引用します.
人間は古くから美しい形やプロポーションに憧れ,造形における調和の美を求めてきた.しかし,この美の摂理は長いこと伝統的な様式の踏襲と芸術家の直感に支えられてきた.1919年に創設されたドイツの造形学校,バウハウスで「構成」という理念がはじめて体系化され,教育に採り入れられた.ファッションや生活用品のデザインからコンピュータ・グラフィックスまで,様々な物の美を読み解く際の鍵となる造形文法「構成学」とは.
本書は美術者の三井秀樹氏(筑波大学名誉教授)による造形の教科書です.造形とりわけインダストリアルデザインにおける「美しさの法則」として現在までに知られている内容をおおよそ網羅しているのではないでしょうか.本書第5章には本稿で触れたフラクタルも登場します.
数式がひとつもないのは「美の科学」を目指す者には物足りないかもしれませんが,足がかりとしても十分な土台になる本だと僕は思います.
おすすめTEDトーク

美術や音楽といったものが持つ美は単に「見る人の目の中にある」のではなく,進化に深い起源を持つ人間本性の一部なのだというデニス・ダットンの美に関する挑発的な理論を,アニメーターのアンドリュー・パークの協力を得て図解しています.
ダットンは美の起源を追い求めていく中で,自然科学者のチャールズ・ダーウィンに行き着きます.彼は美の感覚を,我々人類の進化の帰結だと主張します.そして美の感覚は我々の遺伝子に深く刻み込まれているのだと主張します.
もちろんダットンの説は完全な支持を受けているわけではありません.とは言え,僕には魅力的に響きます.僕自身,研究協力者とともにダーウィンの研究を引き継いでいます.皆さんはどう感じられましたか?
ところで,僕はTEDのローカル版であるTEDxというイベントの運営をしています.この動画は2012年のTEDxKyotoというイベントでも紹介させて頂きました.大変思い出深い動画です.
Q&A
匿名質問サイト「マシュマロ」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.
今週はこんなご質問をいただきました.
コロナ禍で失業したり,大変な思いをしている人が多いです.いちさんから,何か励まし,応援のメッセージをお願いします.
災難にあたっている皆様に心よりお見舞い申し上げます.僕の言葉より,僕が行き詰まっていたときに声をかけてくださった高台寺圓徳院のお坊様のお言葉をひきたいと思います.
「二条城の襖絵を描いたんは誰や?」
狩野派の絵師だと僕は答えました.そうすると件のお坊様は
「せや,狩野探幽や.あいつな,ライバルを毒殺しよったんや.そら一大事業やで,やりたいやついっぱいおるやんか.勝ち抜くためにそこまでしてんで.何も殺せとは言わん.せやけど,そのつもりで生きていきなはれ.何でもやりなはれ」
とお話になりました.しかも「戒名はワシがタダでつけたるから安心せい」とまで背中を押してくれました.いや,これはもうお坊様なのかマフィアなのかわかりませんな.
こちらの匿名質問サイトで質問を受け付けています.質問をお待ちしております.
https://marshmallow-qa.com/kanaya
ポッドキャストのお知らせ
まだ実験的な取り組みではあるのですが,ポッドキャストを始めてみました!いまのところ,ニュースレターの振り返りのトークをしています.金曜日の夜に配信することにしていましたが,このニュースレターの配信が金曜日の朝なので,前日の夜ぐらいのタイミングのほうが良いかもしれません.こちらもまた皆さんのコメントを頂ければありがたいです.
iPhone/Mac からは以下のリンクでお聞きいただけます.
Android/PC からは以下のウェブサイトでお聞きいただけます.
お詫びと訂正
【創刊3号】文中の
「ブラジル(偶然にも教皇子午線の西側にある)」
は「ブラジル(偶然にも教皇子午線の東側にある)」の間違いでした.お詫びして訂正いたします.ウェブ版は修正済みです.
あとがき
このニュースレターも無事【第4号】を迎えることができました.これは,本当に,ほんとうに,購読してくださっている皆様のおかげなんです.僕はブログも書いているのですが,ブログは「いつか誰かに読んでもらえたらいいな」というどちらかと言えば消極的な気持ちで書くのに対して,ニュースレターの場合は明確に「あなたに読んでもらえて嬉しい」という積極的な気持ちで書けるんです.
さて,今週は「美しさ」の数学的由来の一つと考えられている自己相似及びフラクタルについてお話をしました.人間が美しいと感じる形態には何らかの数学的法則が隠されているのではないかと,何人もの科学者が探求しています.有名な発見としては,対称性や黄金比が挙げられますね.しかし「美しさ」の探求はいつも科学者を跳ね返すようです.例えば,日本の禅寺の庭の美しさはどうでしょう.何かルールがあるのでしょうか.僕は以前、日本の美を探求したいと思い,松岡正剛氏に聞いてみたことがあります.彼は「ルールの無いのがルール」という禅問答のような回答を僕にくれました.
美の科学的探求はまだ全くの手探り状態と言えるのかもしれません.されど挑戦の日々です.
また来週,どうか我々の冒険にお付き合いください.
受験生の皆さんは,どうか落ち着いて受験してくださいね.
ニュースレター「STEAM NEWS by Ichi」
発行者:金谷一朗(いち)
TEDxSaikaiファウンダー・パイナップルコンピュータ代表・長崎大学情報データ科学部教授
Photo by Aaron Burden on Unsplash
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