死を招くファッション【第94号】

松の廊下のズボンの裾が長すぎる件について
金谷一朗(いち) 2022.09.09
誰でも

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【140字まとめ】映画やドラマで「忠臣蔵」をご覧になったことはありますか? 松の廊下で,浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかるのですが,ふたりともズボン(袴)の裾が長すぎると思いません? 実は裾が長すぎるファッションは,ヨーロッパでかつて公衆衛生上の問題を引き起こしていたのです.

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STEAM NEWS はメールで毎週届くニュースレターです.国内外のSTEAM分野(科学・技術・工学・アート・数学)に関するニュースを面白く解説するほか,今週の書籍,TEDトークもお届けします.芸術系や人文系の学生さんや教育関係者の方,古代エジプト好きな方にとくにおススメです.

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いちです,おはようございます.

今週はこれまで取り上げることがなかった「ファッション」について書いてみたくて,少し短い文章を書いてみました.

僕のファッション感覚はマイナス2万点なので,ぜんぜん偉そうなことは書けないのですが,STEAM目線で書いてみますので,どうかお付き合いください.

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《目次》

  • 松の廊下

  • 長すぎるスカート

  • 今週の書籍

  • 今週のTEDトーク

  • Q&A

  • 一伍一什のはなし

松の廊下

僕は長時間の移動になると,なぜか時代劇映画を観たくなります.今週はタイへの飛行機移動があったので,事前に「忠臣蔵」をテーマにした映画をいくつかiPadにダウンロードしました.渡辺邦男「忠臣蔵」(1958)はとりわけ好きなバージョンなのですが,何度か観ていたので,結局は「決算!忠臣蔵」にしました.面白かったですよ.

忠臣蔵と言えば,江戸城の「松の廊下」での刃傷沙汰ですね.浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかる,あのシーンです.

松の廊下で斬りつけられる吉良上野介(三代歌川豊国:忠雄義臣録)

松の廊下で斬りつけられる吉良上野介(三代歌川豊国:忠雄義臣録)

僕はいつも思うのですが,あのふたりの装束,裾が長すぎませんかね?

後ろの誰かに踏んづけられたらこけちゃうじゃないですか.それともソーシャルディスタンスが徹底されていたのでしょうか.

三蔵法師のお弟子さんのひとりで,6世紀から7世紀の中国のお坊さん道宣(どうせん)がすでに「七尺下がって師の影を踏まず」と言っています.七尺と言えばおよそ2メートルですから,現代のソーシャルディスタンスに近いですね.日本では「七尺」が「三尺」「三歩」に変化したバージョンが定着しています.

そう言えば,僕が和歌山大学に勤務していた頃には「最近の学生は,三歩下がって師のハゲを笑うだよ」と学部長に言われました.僕は学部長の頭頂部を見ながら,笑うのが礼儀なのか,それとも非礼なのか判断が下せず,ひきつった表情をしたことを覚えています.

長すぎるスカート

流石に江戸城内では裾を踏んづけないようにしていたと思うのですが,裾を引きずるファッションにはいろいろな問題があります.

実は西洋でも,主に女性のスカートが定期的に長くなったそうです.

「死を招くファッション:服飾とテクノロジーの危険な関係」によると,1800年代初期から1905年頃まで繰り返し,裾を引きずるスカートが流行したそうです.そう言えばヴィクトリア朝が舞台の映画でよく見かけますね.シャーロック・ホームズとかですね.

これが何を意味するかというと,女性が街を「掃いて歩いた」ことになるのです.映画では美化されて描かれることが多いのですが,実際にはこの時代のヨーロッパの都会はかなり不潔でした.犬や馬,ときには人間の排泄物なんかも道に落ちていたのです.

それらの糞尿と,糞尿にくっついた病原性微生物がスカートの裾によって個人の家に持ち込まれていました.

細菌を引きずり歩くスカート(「パック」誌,1900)

細菌を引きずり歩くスカート(「パック」誌,1900)

これは大変に不衛生な状況です.

「死を招くファッション:服飾とテクノロジーの危険な関係」によると,当時の先進的な医師は,外出するときは短いスカートを着用するように推奨したそうです.ただしロベルト・コッホによる病原菌の発見は19世紀後半なので,その医師は科学的な証拠をもって短いスカートを推奨したわけではないかもしれません.

実際,19世紀より以前は「ファッションは医学的な危険よりも道徳的な危険を示すもの」(同書)でした.ここら辺は,タイムトラベル小説「犬は勘定に入れません あるいは,消えたヴィクトリア朝花瓶の謎」にもコミカルに,そしてロマンティックに描かれています.

とはいえ,女性に短いスカートを勧めた医師(きっと男性でしょう)とは,美味い酒が飲めそうです.

今週の書籍

19世紀から20世紀前半,欧米諸国の衣服や装飾品のデザインや素材には,科学技術の進歩によって革新的なものが生まれ,流行してきた.いつの時代も,その当時の最新技術によるファッションは,悲惨な出来事を引き起こした.本書は,それらを取り上げて,歴史的・社会的背景や,科学的側面とともに示す.それらの出来事に巻き込まれざるを得なかった人々の悲劇的エピソードは,それぞれが胸に迫る.そして,同様の問題は現在も存在することが,具体的な事例とともに指摘される.美しい色や贅沢な装飾の服,帽子,装飾品などの写真と,それらにまつわる悲劇との対比が,たいへん印象的である.

本文中でご紹介した書籍です.著者のアリソン・マシューズ・デーヴィッド博士はカナダのトロント・メトロポリタン大学の教授なのですが,日本での「厚底サンダル」による運転事故も取り上げるなど,多角的な視点でファッションと死の関係を捉えています.

本書は僕のファッションに対する見方を変えてくれました.

今週のTEDトーク

ニューヨークでジーンズを履いた女性を見ても誰も何とも思いません.でもノーベル賞受賞者のマララが履けば,政治性をはらむ行為となります.世界中で,個性は犯罪となる可能性があり,そして衣服は抗議の一形態となり得ます.私たちが着るものの持つ力をテーマとするこのトークの中で,カウスタヴ・デイは,ファッションがいかに,言葉を使わずに異議を唱える言語となり,本当の自分を受け入れることを奨励するか考察します.
TED

このトークを聞いて,僕はみっつのことを思い出したんです.ひとつめは確か,高校3年生のとき.当時は予備校で非正規に受講する「もぐり受講」が流行っていて,僕も国語か何かの講義にもぐっていました.そのとき講師が「君たち高校生はなぜ制服を着るのか?」という問いかけをしたんです.なぜ制服? 校則だから? なぜそんな校則があるの? なぜ??

講師は静かに「服装は自己表現だから」と教えてくれました.服装を機能としか思っていなかった当時の僕はびっくりしました.河合隼雄先生も言われていましたが,自己表現してはいけない職業,たとえば軍人,警察官なども制服ですね.

もうひとつ思い出したことは,京都の小さな美大で教えていたときのこと.ある学生がいつも「ロリータ・ファッション」で受講していたんです.彼女が講義後ひとりで教室に残っていたので,僕は彼女のそばに行って服装やメイクを絶賛しました.すでにご存じの方もおられるかおしれませんが,こんな時の僕はかなりチャラいです.

彼女は心を開いてくれたのか,ロリータ・ファッションに込めたあふれる想いを僕に伝えてくれました.いじめられていた過去や,独学で裁縫を覚えたこと,服もアクセサリーも自作していること,などなど.

僕にとってそれまでファッションは何か「チャラいもの」という意識があったのですが,むしろそれは「戦闘服」「防具」なんだと気付きました.

みっつめは,在エジプト日本大使とお話をさせて頂いたときのことです.僕はすこし格好を付けて「外交の本質は威嚇(軍事)と詐欺(交渉)ですよね?」と話題を振ったところ,彼はにこっと笑って「では詐欺に必要なものは何だと思いますか?」と聞き返しました.

僕は「度胸と…」と言ったところ言葉に詰まったのですが,彼は「舞台と衣装です」と後を引き継ぎました.舞台とは整った大使館や品の良い公邸,衣装はぱりっとしたスーツやドレスといったところでしょう.

そう言えばハイブランドのお店に入るときも,度胸か衣装のどちらかが必要ですものね.

大使のお話に比べると随分レベルが低いですが,僕も飛行機に乗るときはネクタイを締めることにしました.それ以来,別室に連行されることはなくなりました.

Q&A

匿名質問サイト「マシュマロ」および質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.

今週はこちらのご質問から.

今までで,一番説得力のなかったアドバイスは何ですか?

博士論文の執筆について,指導教官へ相談したときに貰ったアドバイスです.そのアドバイスとは「毎日ヨーグルトを食べなさい」でした.驚くべきことに,それが唯一のアドバイスでもありました.

博士論文の執筆には何の役にもたちませんでした.

ただし,そのアドバイスはずっとまもっています.砂漠で働くときは,ヨーグルトに塩と水を混ぜたものを飲むようにしています.そのせいかどうかはわかりませんが,博士号取得後20年間,大きな病気をしていません.

そして,僕はその指導教官を生涯の師匠と本気で思っています.

このレターの最後に匿名質問サイトへのリンクを貼っています.質問をお待ちしております.

一伍一什のはなし

タイに来ました.

学生の短期留学の引率で,バンコクにある泰日工業大学を訪問しています.大学としても2年半ぶりの海外短期留学,僕個人も2年半ぶりの海外出張で,いろいろ準備が大変でした.

タイの入国制限はほとんど撤廃され,コロナワクチン接種証明または陰性証明書を見せれば隔離期間なく現地滞在ができます.また2022年9月7日以降は,コロナワクチン3回接種者であれば日本への帰国時に必要なPCR検査が免除されます.

つまり,コロナワクチンを3回接種していれば,ほぼ従来通りということですね.

タイのコンビニで自己検査キットが売られているので,念のため大学の入り口で全員検査をして陰性であることを確認しました.念のため,3日おきぐらいに検査しようと思っています.

また勤務先の長崎大学の規定で,全員がシングルルーム滞在,会食も4人以下で週1回までと決められているので,あまり「団体で旅行している」感がないのですが,それでも学生には異文化体験してもらいたいなあと工夫を考えています.

バンコクは暑いイメージがあったのですが,8月の長崎のほうが暑かったです.日本が暑くなってきているのかもしれません.

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では,また来週,お目にかかりましょう.

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ニュースレター「STEAM NEWS」

金谷一朗(いち)

TEDxSaikaiファウンダー・パイナップルコンピューター代表・長崎大学情報データ科学部教授

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Photo by Martino Pietropoli on Unsplash

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