オリンピック開会式のドローン・ディスプレイ【第35号】
【140字まとめ】今週は東京オリンピック開会式で空中に地球を出現させた「ドローン・ディスプレイ」の話題です.アメリカ製なの?どうしてラジコンヘリじゃないの?どうやってディスプレイになってるの?GPSは使ってるの?空中ディスプレイて他にどんな種類があるの?などの疑問にお答えしてみます.
いちです,おはようございます.
兎にも角にも東京オリンピックが始まりましたね.開会式の演出をご覧になった方も多くいらっしゃることでしょう.普通,この手のショウは花火に全部「持っていかれる」ものなのですが,それでも特にドローンを使った特大の空中ディスプレイは圧巻でした.
このドローンによる表現には「さすが日本の技術」(違います)や「日本の技術はもっと進んでいる」(これも違います)などちょっとずれた感想も寄せられています.
今週はこの東京オリンピック開会式の演出に使われた技術について,公開されている資料から解説してみます.

東京オリンピック開会式のドローンはアメリカ製?
東京オリンピック開会式で使われたドローン・ディスプレイは,公式発表のとおり米国インテル社の “Shooting Star” (流れ星)システムです.
“Shooting Star” は約5年前からショウに使われています.当初は500機のドローンを使っていましたが,東京オリンピックでは1,824機が使われました.
民生用ドローンで有名なのは中国のDJI社なのですが,インテルは独自設計のドローンを使っています.インテルはイスラエルにも研究所を持っており,ひょっとしたらイスラエルの開発チームによるものかとも思って資料を漁ってみたのですが,どうもハードウェアはアメリカで開発したもので,ソフトウェアはドイツの会社 MAVinci GmbH の買収によって獲得したもののようでした.イスラエルは「世界最強」と言われる空軍力を持っていますし,インテルもイスラエルに有名な研究所を持っていますから,ひょっとしてと思ったのですが違ったようです.
DJI社を抱える中国ですが,2020年に3,051機のドローンを使った空中ディスプレイを成功させており,ギネス世界記録に登録されています.その時の映像がこちら.
この記録は今年(2021年)4月4日の3,281機のドローンを使ったデモで塗り替えられています.
そのうち全天を覆うドローンディスプレイも出てくるかもしれません.そうなるとSF小説「三体」みたいな世界を表現することも出来るかもしれませんね.
我々エジプト調査チームはDJI製ドローンを使っています.御存知の通りエジプトはイスラエルと緊張関係にありますからドローンの使用には特にセンシティブで,ドローンを遺跡上空で飛ばすためには特別な許可が必要です.
日本製ドローンに関しては,ヤマハの農業用ドローン以外はあまり市場を取れていないようです.オリンピック開会式は無観客でしたから,客席上空に農業用ドローンを多数飛ばして水を撒いてフォグ(霧)を作り出し,そこにプロジェクタで遠隔参加する観客をバーチャルに出現させるなどすれば日本の技術による演出になったなあと,僕は妄想します.
飛んで止まるということ
中国の「竹とんぼ」やレオナルド・ダ・ビンチのスケッチが起源と考えられるヘリコプターは,空中で静止できる航空機の一種です.ドローンに代表されるマルチコプターが普及する前は,空中で機体を静止させようと思えばヘリコプターがほぼ唯一の選択肢でした.

マルチコプターの例 (Alexander Glinz - photo by Alexander Glinz / uploaded by Joadl, CC BY-SA 3.0)
従来は小型ラジコンヘリの独壇場だった無人航空機のフィールドも,現在は急速にマルチコプターに置き換えられていっています.バッテリの小型化や電動モータの高出力化といった技術革新も一因ですが,それだけではありません.通常のヘリコプターはローターがひとつなのに対して,マルチコプターは4個以上のローターを使います.マルチコプターに使われる「ブラシレスモーター」は回転数を精緻に制御出来るため,ローターごとに揚力を調整することで,マルチコプターの姿勢を精密に制御できるようになったわけですね.これは従来のヘリコプターでは出来ないことでした.この技術のおかげで,マルチコプターは従来難しかった「風のある環境中でも決まった位置に静止する」ということが出来るようになりました.
自分の位置を知るということ
ドローンを決まった位置に持っていくためには,ドローンが自分の位置を知っていることがどうしても必要です.
我々がエジプトでピラミッドやスフィンクスの計測をする場合には,計測対象の周囲に地上コントロールポイント(GCP)と呼ぶ視覚マーカを設置して,ドローンから撮影します.GCPは別途測量しておくので,これでピラミッドやスフィンクスの絶対的な位置が決まります.(なので我々はエジプトで土木工事もしてるんです.)
インテルの “Shooting Star” の場合,GPSを含む衛星測位システム(GNSS)がドローンに使われています.ただ民間用GPS単体だと位置制御に必要な精度が出ないため,追加の工夫は行われています.インテルのドローンが2018年の「TIME」紙の表紙を飾ったときはスケールを考慮してもまだドローンが揺れているように見えますが,その後改善したようですね.
このようにして,位置を正確に知ること,位置関係を保ったまま静止することが出来るようになったことで,ドローンは空中ディスプレイとして使えるようになったわけですね.
【少しマニアックな話】日本語で検索すると,インテルはRTKと呼ばれる技術を併用しているのではないかという推測をよく見かけます.RTKはGPS信号を受信する地上固定局と,同じくGPS信号を受信しているドローンとの間で信号の「ずれ」を求め,位置精度を高めるものです.これによって水平面で数センチメートルの誤差まで抑えられます.ただし,インテルはRTKを用いていることを表明していませんので,これは憶測です.個々のドローンの絶対的な位置は必要なく,お互いのドローンの位置関係だけが正確にわかっていれば良いので,おそらくRTKは行っていないでしょう.
【もっとマニアックな話】インテルの発表によると “Shooting Star” に使われるドローンはカメラを搭載していません.したがってロボット掃除機「ルンバ」のように周囲の映像から自分の位置を求めることは出来ません.ただし,地上に設置したカメラへ向かって変調した光信号を送ることで,自分の位置を知らせることは可能です.インテルはこの分野でも先端的な研究を行っているので,使われている可能性があるかなと思ったのですが,資料を見る限り地上カメラの話はありませんでした.
空中ディスプレイあれこれ
ドローン・ディスプレイが初めてお披露目されたのは2012年,オーストリアのリンツにあるアルス・エレクトロニカ研究所でのことでした.
何もない空間に映像を浮かび上がらせたいというエンジニアの欲求は,かつては「レイア姫を実現したい」と言われていました.これのことですね.
「スターウォーズ」第1作目(エピソード4)のレイア姫を見たエンジニアたちの方向性は,大きく3方向に別れたように思います.ひょっとしたらもっとあるかもしれませんが,ひとまず3種類をご紹介させて下さい.
ひとつ目は,そのまんまレイア姫の技術を目指すもので,ホログラフィーを使ったものです.ホログラフィーはハンガリーの物理学者ガーボル・デーネシュによって1947年に発明された技術で,立体写真を提示するものです.日本の1万円札および5千円札の偽造防止にも使われています.
ホログラフィーは目に飛び込む光の「強度」と「位相」を再現するため,右目と左目の位置の違いによる見え方の違いや,頭部を動かしたときの見え方の違いが再現されます.従来,ホログラフィーで「動く」レイア姫を再現することは難しかったのですが,コンピュータ合成ホログラフィーによってそれも可能になってきています.僕の恩師である関西大学の松島恭治も開発に関わっていますので,次の動画でご覧いただければ幸いです.
このコンピュータ合成ホログラフィーについて,松島先生と米国SIGGRAPH国際会議に発表に行ったことがあります.その時は伝説のCG研究者西田友是先生に熱心にご質問いただきました.どのぐらい伝説かというと「CGのノーベル賞」とも呼ばれる「クーンズ賞」を同学会から受賞したときに,なんと日本語のスライドを使って受賞講演をされたほどなのです.言葉は流石に英語でしたが.
話がそれました.
ふたつ目は,空中で何かを発光させるもの.ドローン・ディスプレイもこの範疇に入ります.古くはLEDキューブや残像ディスプレイなんかも開発されてきました.
LEDキューブはこのようなディスプレイです.
またこのような残像ディスプレイもあります.
自力で浮き上がるか他力で浮き上がるか,自分で発光するかやって来た光を反射しているかの違いはありますが,これもドローン・ディスプレイと似ていますね.
また変わり種として,空中にレーザー光線を集中させて空気中の分子を加熱して発光させるものや,フォグ(霧)を使って光を散乱させるものなどもあります.
次の動画はレーザー光線を使って空中に発光させるものです.
次のような,フォグ(霧)を使って光を空中で散乱させるディスプレイもあります.
光を散乱させるのはフォグ(霧)だけではありません.半透明のフィルムを使った「初音ミクライブ」は,遠目に見るとレイア姫にかなり近いと言えるでしょう.
さらに伝統的なものとしては,ステージにハーフミラーを設置して,リアルな役者や大道具と,ミラーに映し出された役者を視覚的に混ぜるものもあります.これはペッパーズ・ゴーストと呼ばれるテクニックで,19世紀から使われています.
みっつ目は,平面ディスプレイ技術を使うものです.要するに右目,左目に少し違う映像を届ければ立体に見えてしまうので,これを利用して専用の光学系を用意するか,人間の頭部にディスプレイをかぶせてしまうのです.

ニンテンドー3DS (Nintendo)
今は懐かしい「ニンテンドー3DS」シリーズは専用の光学系を使って立体的な映像を表示していました.世界で7,000万台以上売れていますから,最も普及した立体ディスプレイかもしれません.立体映像がどのぐらい観られたかどうかは疑問ですが.
ディスプレイから十分離れていれば,右目,左目による見え方の違いではなく,頭部の移動による立体感や,陰影による立体感のほうが支配的になってくることを利用することも出来ます.おそらく最も「ローテク」なのはイギリス人アーティストであるパトリック・ヒューズの「逆遠近法」でしょう.日本では「不安神宮」という作品のアイディアとして知られています.
ディスプレイから十分離れれば,見た目だけ立体にすることでもかなりの効果が得られます.新宿の巨大猫ディスプレイも先月話題になりましたね.

巨大猫ディスプレイ (AV Watch)
こちらは去年中国で話題になった巨大デジタルサイネージと同じ技術が使われています.
レイア姫にインスパイアされた3Dディスプレイはまだまだたくさんあり,消えていった技術も無数にあります.ただ,まあ,僕自身が3Dの研究をしていてこういうのもアレですが,そこまでしてレイア姫をやりたいですかね…という感想も無くはないです.
おすすめ書籍
過去の五輪で実際に起こったトホホで笑える事件をはじめ,嘘のような本当の話,感動要素を織り交ぜたエピソードを集めたトリビア本
近代五輪は第1回のアテネ大会以来,夏季・冬季通じて55回を数える.120年超の歴史の中でさまざまな挿話が誕生.本誌では,過去のオリンピックで繰り広げられた数々のエピソードを,わかりやすい漫画とイラストで紹介.こどもから大人まで楽しめる一冊となっている.挿入エピソードは,「なんてこった!」なトホホ事件から,汗と涙の感動秘話まで,見開き完結で紹介.つい,友達にも話したくなる“うんちく”も満載なので,オリンピック雑学ならこの一冊で決まり!エピソードを時代ごとに紹介しているので,オリンピックの歴史もしっかり分かる優れもの.オリンピック観戦前後のお供にもぜひ.
愉快なオリンピックの歴史がイラスト入りで書かれた本です.面白おかしく書かれていますが,オリンピックの負の側面をちゃんと描いているように読めました.2016年のリオデジャネイロ大会までが収録されていますが,きっと続編も出ることでしょう.
おすすめTEDトーク

TED
ペンシルベニア大学のヴィージェイ・クーマーの研究室で開発しているクワッドローター型の小さく敏捷な飛行ロボットは,群れを作り,互いの存在を認識し,臨機応変にチームを組んで,建設や災害時の調査やその他様々なことをこなします.
こちらはドローンの編隊(変態?)飛行を世界に紹介したかなり初期の動画で,2012年に収録されたものです.ドローンがフォーメーションを組むところはもちろん,ドローンを使った楽器の演奏なんかも披露してくれます.
Q&A
匿名質問サイト「マシュマロ」および実名質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.
今週はマシュマロで頂いたご質問から.
いつも楽しく購読させていただいています!アレクサンドリアに行ってみたいので、いつにも増して興味津々でした。
本誌【第34号】へのご感想ですね.ありがとうございます.
さて内容とは別の疑問なのですが、なぜ先生の文章の句読点は「,」「.」なのでしょうか?「、」「。」ではないのは何か目的があってのことですか?時々気になって文章が頭に入ってこないことがあります。(既出の疑問でしたらごめんなさい。)
僕たちの所属する「情報処理学会」という学会が「,」「.」を推奨していたので(惰性で)採用しています.なお文科省は最近まで「,」「。」を指定していました.
僕は普段執筆にMacとiPadを使っているのですが,Macを「,」「.」に,iPadを「、」「。」に設定しているので,うっかり混ぜてしまうこともあるんです.いつか「、」「。」に戻したいなあとは思いつつ,惰性でここまで来ちゃっています.いつかタイミングを見て,統一しようと思っています.
ご質問ありがとうございました.
こちらの匿名質問サイトで質問を受け付けています.質問をお待ちしております.
振り返らない動画
このニュースレターでは「振り返り」動画を公開していです.が, 今週は振り返らない動画です.
こちらは長崎の「原爆資料館」で許可をとって撮影したものでした.
あとがき
本校を執筆中に,ノーベル賞物理学者スティーブン・ワインバーグ博士の死去が伝えられました.
ワインバーグ博士の「科学の発見」という本は,このニュースレターを始めるきっかけの一つとなった,僕にとって大変に重要な本です.
いつか,ワインバーグ博士の記事も書こうと思います.もし資料が手に入れば,彼が愛した猫ちゃんについても.
今週も最後までお読みいただきありがとうございます.メールでお読み頂いた皆様は,よろしければボタンを押して行ってくださいませ.(ボタンは匿名化されています.集計したデータはこのニュースレターの内容改善以外には用いません.)
では,また来週,お目にかかりましょう.
休刊日のお知らせ:8月13日金曜日は休刊を予定しています.
ニュースレター「STEAM NEWS by Ichi」
金谷一朗(いち)
TEDxSaikaiファウンダー・パイナップルコンピュータ代表・長崎大学情報データ科学部教授
Image courtesy of IOC.
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