佐渡金山【第64号】
【140字まとめ】日本政府がユネスコに世界遺産候補として推薦する「佐渡金山」は,推薦理由が「かなり弱い」のです.本号ではその理由や,ノーベル賞の金メダルにまつわる驚きのストーリー,そして佐渡金山を開発した謎のアーティスト兼エンジニア大久保長安についてお話しします.
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いちです,おはようございます.
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さて,紆余曲折の末に,今週ついに日本政府による「佐渡金山」の「ユネスコ世界文化遺産(世界遺産)」推薦が決まりました.
いえいっ!
…でしょうか?
おそらく,日本の多くの文化遺産研究者や関係者は「またか…」という想いでしょう.
佐渡金山の世界遺産登録については,韓国政府が反対を表明しています.長崎の「軍艦島」の世界遺産登録のときも韓国政府は韓国人に対する強制労働があったことを理由に反対し,展示方法を巡ってユネスコ(国際連合教育科学文化機関)はのちに「強い遺憾の意(strong regret)」という声明を出しました.今回もまた国際問題になることは避けて通れないでしょう.
しかし,これが関係者の「またか…」の理由ではないのです.
そうではなくて,それだけ大事な文化遺産なんだったら,国連という「権威」を借りずに,日本政府が「これは世界的な文化遺産です」ともっと国内外へ主張すべきところ,またも「世界遺産」の名前を取りに行ったのかという落胆です.また国内旅行者もユネスコをミシュランガイドのように使わず,見たいものは自分たちの意志で選ぶべきだという,少し思い上がった感情も研究者の中にはあるでしょう.
自分たちで「世界的な文化遺産」を決めるのって
「そんなん関西テレビの『となりの人間国宝さん』と変わらへんやん?」
と思われるかもしれません.
いえ,それでいいんです.徹底的に考えて,検証して,歴史を積み上げていけば,あとは自分たちに自信持っていいんですよ.
と,僕は思います.そのための人文学じゃないですか.
オープニングから暑苦しくなってしまいました.
今週は佐渡金山の話題を中心に,化学物質「金」のこと,世界遺産という制度のこと,そして江戸時代の謎の天才エンジニア「大久保長安」についてお話しします.
《目次》
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世界遺産は本来「ややこしい」遺産のこと
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金はどんな味がするの?
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ノーベル賞化学者が実践した驚異の金メダルの隠し方
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天才エンジニア?それとも稀代の詐欺師?「大久保長安」と世界遺産
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おすすめ書籍:カムイ伝講義
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おすすめTEDトーク:海水から鉱物を採掘する
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Q&A
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一伍一什のはなし

世界遺産は本来「ややこしい」遺産のこと
エジプトのナイル川の上流に「アブ・シンベル神殿」という巨大な神殿があります.紀元前1,264年頃からおよそ20年かけて,エジプト新王国第19王朝のラムセス2世によって建設されました.僕も現地へ足を運んだことがあるのですが,とにかく巨大な神殿です.

この神殿は1960年代の「アスワン・ハイ・ダム」の建設計画によって,水面下に沈む可能性が出てきました.当時発足したばかりだったユネスコによって,この歴史的文化遺産を何とか保存しようという活動が開始されました.資金面,技術面でも大変な苦労を伴ったのですが,資金面では50か国が国際協力をし,技術面ではスウェーデンのエンジニアリングチームがなんと遺跡を分割して運び出して再びくっつけるという信じられない仕事をやってのけ,遺跡はダムで出来たナセル湖のほとりに鎮座することになりました.
アブ・シンベル神殿の保存方法に関しては,イギリスのエンジニアリングチームも別なアイディアを提唱していました.これが「英国面」たっぷりのアイディアで面白いのですが,こちらは【別冊】のほうでご紹介しようと思います.
アブ・シンベル神殿の保存を契機に「国際的な援助が要請される遺産」について国連が保護を呼びかけようという機運が決定的になり,1970年にユネスコで「普遍的価値を有する記念工作物,建造物群及び遺跡の国際的保護のための条約」が提出されることになりました.本条約は「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)として1972年に採択されました.
このように,世界遺産は元々は「ややこしい」遺産の国際的保護のための条約だったのです.紛争地域にあるとか,地元政府に十分な資金や技術が無いとかの理由で,自国政府で保護できない遺産を国際的に保護しようという目的があったのです.世界遺産の対象が広がった現在は同目的のために「危機にさらされている世界遺産」というリストが管理されています.
ヨーロッパのように歴史上何度も国境が変化している地域では,国をまたいだ統一基準があったほうが便利なのでしょうが,日米のような比較的国境が安定した先進国では,わざわざ世界標準に合わせようとして一喜一憂するのもどうなのかなと僕は思います.
金はどんな味がするの?
さて,佐渡金山です.佐渡島では金の他に銀も産出したので,正確には佐渡金銀山ですが,この号では「金」について取り上げていきます.
佐渡金山が開発されたのは江戸時代初期の1601年で,当初は年間400キログラム以上の金が産出したとされています.これは当時世界最大です.江戸時代の小判は1枚あたり金が16グラム程度含まれていますから,毎年小判25,000枚,つまり2万5,000両ぶんを算出したということになりますね.江戸時代初期には1両が現代の10万円ほどの価値がありましたから,25億円規模ということでしょうか.これに銀1万貫ぶんが加わったそうなのですが,こちらは現代換算で120から160億円規模という想像を絶する額になります.関ヶ原の合戦に勝利した直後の徳川家康はすぐに佐渡を抑えていますから,なかなかの目利きですね.
佐渡金山の採掘は1989年(平成元年)まで三菱グループ企業によって続けられました.映画で言うと「ダイ・ハード」第1作の年です.
ところで,金を食べたことはありますか?実は金は銀とともに「食品添加物」として認められています.
食用金箔はその大半が日本で生産されていますが,ヨーロッパやインドにも金箔で食品を装飾する習慣はあり,例えばポーランドのゴルドヴァッセル (Goldwasser) は金箔入りのリキュールとして16世紀から製造されています.
で,金の「お味」のほうですが,金には味がありません.
というのも,金は口の中では全く溶けず,味蕾を刺激することがないからです.それどころか,体内には全く吸収されず,腸を素通りしてトイレに直行します.なんだかもったいないですね.
金は水にはもちろん,ほとんどの液体に対して溶け出すことがありません.濃塩酸と濃硝酸を3:1の比率で混ぜた「王水」は金を溶かすことが出来る数少ない液体で,イスラムの錬金術師ジャービル・ブン・ハイヤーンによって発明されたと考えられています.
ノーベル賞化学者が実践した驚異の金メダルの隠し方
ドイツの物理学者マックス・フォン・ラウエは1914年にノーベル物理学賞を,同じくドイツの物理学者ジェイムズ・フランクは1925年にノーベル物理学賞を受賞し,二人とも金メダルを持っていました.しかし二人ともナチスに反対していたため,接収を恐れてふたつの金メダルをコペンハーゲンの化学者ゲオルク・ド・ヘヴェシーに預けます.フランクはユダヤ系であったため,1934年にはアメリカへ亡命しています.その後第二次世界大戦が始まり,デンマークはナチス・ドイツによって占領されるのですが,ヘヴェシーはなんと金メダルを王水に溶かして隠してしまいます.その後ヘヴェシーはスウェーデンへ亡命しています.
終戦後,ヘヴェシーはデンマークへ戻って,金を溶かした王水から再び金を精製し,ノーベル財団に依頼して二人のメダルを作り直してもらいました.またヘヴェシーは,戦中の1943年に自身のノーベル化学賞を受賞しています.
ヘヴェシーはハンガリー人でしたが,もし日本人だったならメダルを金箔にして食べて亡命…と一瞬思ったのですが,当時のノーベル賞メダルは「23金」で平均175グラムだったそうですから,メダル1個分でもアマゾンで買える食用金箔「金の舞」3,500本ぶんとなってしまい,無理な話でした.
天才エンジニア?それとも稀代の詐欺師?「大久保長安」と世界遺産
徳川家康が佐渡金山を幕府直轄領にしたのは1603年(慶長8年)ですが,それに先立つ1600年(慶長5年)には「石見銀山」を支配しています.このとき家康が派遣したのが,現代で言えば「天才エンジニア」の「大久保長安」でした.彼は初代銀山奉行として辣腕を振るい,家康の財政面を大いに助けました.石見銀山は「山を崩したり森林を伐採したりせず,狭い坑道を掘り進んで採掘するという,環境に配慮した生産方式」がユネスコに評価され,2007年に世界遺産に登録されました.
大久保長安は元々猿楽師の家系に生まれ,自身も猿楽師だったようです.しかし,若き日に武田信玄に才能を見いだされ,鉱山開発を行うようになります.武田氏滅亡後は家康配下に入り,現在の八王子市の開発に力を入れました.
1600年(慶長5年),関ヶ原の戦いで西軍が敗れると,家康はすぐに長安を石見銀山,佐渡金山へと派遣します.両方とも豊臣家が所有していたのですが,それを家康が奪い取った形になりました.
長安は鉱山開発だけでなく,都市計画にも優れていたようで,関東における交通網の整備も手がけています.ここまで来ると,もう天才エンジニアですね.猿楽師でもあったわけですから,アーティスト兼エンジニア,それに政治家も兼ね備えていたと言うことになりましょう.一説によると,長安は幕府転覆を企んでいたとさえ言われています.そうだとすると,家康から天下を「盗もうとした」天才詐欺師の称号を贈らないといけないかもしれません.
もっともこういったGAFAFA(がはは)系の人物というのは,政治力を使いすぎたり,お金の計算に大らかだったりで,晩年には揺り戻しが来るものなのでしょう.大久保長安は慶長18年に亡くなりますが,家康によって葬儀の中止が命ぜられ,男子7名には切腹が命ぜられました.これにより,家系は断絶しました.
大久保長安が開発を手がけた石見銀山が世界遺産となり,同じく彼が手がけた佐渡金山がこれから世界遺産に推薦されるなど,やはり都市計画や鉱山開発に優れていたことは間違いないようです.ただ皮肉なことに,世界遺産は「文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として『無二の』存在」であることが求められるのですが,佐渡金山は石見銀山の「二番煎じ」と言われてしまう恐れがあります.
今後,佐渡金山にしかない『無二の』特徴をどれだけ訴えていけるかが,世界遺産登録の鍵になります.
僕としては,そんなことよりも「日本遺産」制度を拡充するとかして,日本人が日本の文化遺産を「がつんと」推すことがもっと大事なんじゃないかなと思います.
と,言うだけでは評論家で終わってしまうので,僕も「となりの人間国宝さん」みたいなYouTube番組を目指すことにします.まずは「世界遺産の旅」という番組名から変えないといけませんな.
おすすめ書籍
白土三平の名作漫画『カムイ伝』を通して,江戸の社会構造を新視点で読み解く.現代の階層社会の問題が見えると同時に,エコロジカルな未来もみえる.
本書を読んで「エコロジカルな未来」が見えるかどうかは疑問ですが,いくつか興味深い箇所があったので「おすすめ書籍」とさせて頂きました.
白土三平「カムイ伝」はお読みになったでしょうか?カムイ伝では鉱山も描かれるのですが,この鉱山のモデルが佐渡の金銀山です.本書はこのカムイ伝の鉱山についても触れられています.
本書にはどうも「独自研究」が混じりがちな気がするのですが,話の出発点としては興味深いので,ご紹介させて頂きました.
おすすめTEDトーク
世界中で浄水の需要が拡大するなか,私たちはより多くの水を海から採取し,淡水化し,飲んでいます.しかし残った苦汁(にがり)はどうすればいいでしょうか?この短くも大変興味をそそるTalkで,TED Fellowのダミアン・ペイリンがアイディアを提案します.鉱物を食べちゃうバクテリアを利用して,苦汁から鉱物を取り出すというのはいかがでしょうか.
デルフト工科大学のダミアン・パリンによるTEDトークです.
実は海水中には沢山の鉱物が溶け込んでいます.日本でも「珍味」のホヤを利用して,海水から希少金属「バナジウム」を抽出する研究がなされています.僅かながら金も海水中に存在しますが,こちらはまだ経済的に取り出せる目処が立っていません.
ところで「Googleスカラー」という研究者のお供(または敵)で調べてみると,ダミアン・パリンはこのTEDトークの内容以外にも,自己修復する海洋用コンクリートの研究なんかもされているのですね.彼の次のTEDトークも期待できそうです.
Q&A
匿名質問サイト「マシュマロ」および質問サイト「Quora」で質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.
今週はこちらのご質問から.
戦う受験生に一言!!
受験は通過点!! 人生のゴールではないので,まずは健康第一に.
このレターの最後に匿名質問サイトへのリンクを貼っています.質問をお待ちしております.

長崎は春節(旧正月)を迎えています.今年はランタンの飾り付けだけの,静かな春節です.一方で,中国深圳の工場はお休み期間に入っていますので,パイナップルコンピュータの製造も一旦お休みしています.
今週はYouTubeライブ番組「世界遺産の旅」で「佐渡金山」のお話しをさせて頂きました.番組後半では「ご当地グルメ」もご紹介しています.
いやあ,世界遺産をミシュランガイドと勘違いするな,ていうかミシュランガイドなぞに踊らされるなとぶーぶー言ってしまいましたが,僕自身「ミーハー」なのでついつい乗ってしまいます.偉そう言ってほんますんません.
先週は,ニュースレターを送信後に運転免許の更新に行ってきました.数年前の一時停止違反がたたってゴールド免許が剥奪されました.次は金箔免許になるように精進します.

今週も最後までお読みいただきありがとうございます.メールでお読み頂いた皆様は,よろしければボタンを押して行ってくださいませ.(ボタンは匿名化されています.集計したデータはこのニュースレターの内容改善以外には用いません.)
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では,また来週,お目にかかりましょう.
ニュースレター「STEAM NEWS」
金谷一朗(いち)
TEDxSaikaiファウンダー・パイナップルコンピュータ代表・長崎大学情報データ科学部教授
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