共通テストの監督はスニーカーを履く【第61号】
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いちです,おはようございます.
明日からいよいよ「共通テスト」(旧センター試験)が始まります.今週はその「共通テスト」に関する話題をお届けします.(この記事は2019年のブログ記事「センター試験の監督はスニーカーを履く」を大幅に加筆修正したものです.既にお読みになった方も楽しんで頂ける内容になっています.)
大学入学共通テストが始まりました
大学入学共通テストは,2021年から大学入試センターが実施している入学試験です.従来の「大学入試センター試験」に比べて,記述式問題の導入や英語民間試験の活用など大幅な変更が見込まれていたのですが,結局導入断念となったため,共通テストとセンター試験はほとんど同じになっています.
読者の皆様にとって「センター試験」の想い出はありますでしょうか?国公立大学はもちろん,日本の多くの私立大学も参加しているので,受験された方も多いでしょう.
僕が受験したのは今から31年前のことでした.会場は神戸大学で,ひたすら寒かったことを覚えています.先輩大学生から教わった「受験ハック」に従って,机の上にグミキャンディーを置いて受験しました.当時は確か禁止されていなかったように思うのですが,ルールを見落としたかもしれません.
共通テストの監督は大学の教員です
共通テスト(旧センター試験)は大学や高校で実施されるのですが,その試験監督は誰だと思われますか?
共通テストの監督は,大学の教員,すなわち,教授,准教授,専任講師,助教が大学運営業務の一環として担当します.大学運営業務の一貫なのですから,大学ごとに自由に運営しても良さそうなものなのですが,受験生が最終的にどこの大学を受験するかわからないので「全国一律」が徹底されています.どういうことかというと,試験監督を担当する教員にはもちろん,実施する大学にも一切の裁量が無いということです.
どのぐらい裁量がないかと言うと,まず服装の自由がないのです.いや受験生も真剣なのだから服装ぐらいきちんとしろと言われるかもしれないですし,それはそのとおりなのですが,問題は靴なのです.スーツを着ていくのだから革靴だろう…と洒落込むとアウトです.革靴は教室を歩くときに靴音が響きます.靴音は受験生の集中力を削ぐおそれがあります.だから服装はスーツにスニーカーなのです.
だいたい大学の教員なんて社会不適合者じゃないですか.1997年のアップル・コンピュータのCMを思い出してみてください.奴らは,起業家だったりハッカーだったりアーティストだったりと同じく"Think Different" な人々なわけですよ.そんな人たちに,ロボットのように試験監督をさせるのが土台無理な話なのですが,それでも日本人が望んだ制度なわけなので,大学教員が試験監督をします.
受験番号を書き忘れていても注意できません
試験監督は受験生に直接話しかけることを禁止されています.例えば,ある受験生が受験番号を書き忘れていることに気づいた場合でも,その受験生に注意してはいけないのです.唯一できるのは,受験会場の全員に「受験番号を書き忘れていないか確認してください」と呼びかけることだけです.この呼びかけさえ,台本にない行為なので本来は禁止されている可能性もあります.
そう,試験監督には事前に綿密な台本が渡されるのです.
その試験監督の台本の中身について語ることは禁止されているのですが,我々大学教員がどのような心持ちで共通テストの監督に臨んでいるのか,その一端をここでご紹介したいと思います.
共通テスト(旧センター試験)会場は主に国公立大学に割り当てられます.割り当てられた大学では,試験監督を選出します.これが規模の大きな大学だと数年に一回まわってくるぐらいなのですが,小さな大学だと毎年あたります.それでも試験監督が足りない大学もあり,その場合は近隣の私立大学に応援を要請します.それでも足りない場合は,地元高校にも応援を要請します.
共通テストは都市部だと大学だけで行うのですが,人口密度の低いエリアだと高校も試験会場にします.特に離島の多い地域だと,離島の高校で実施することもあります.この場合,試験問題や試験監督が会場に到着できないと大変なことになるので,数日前から会場入りします.
なお,試験問題は離島へは船で運びます.試験問題が事前に漏洩すると共通テストを中止しなくてはならなくなるので,事故があった場合はコンテナごと沈めるというフェイルセーフ機構なのでしょう.
試験監督マニュアルがあります
共通テストの実施方法は毎年少しずつ変更されるので,事前に監督者説明会というものが各大学や高校で開かれます.大学によってはリハーサルも実施します.このとき「大学入試センター」が作成した監督要領が配られるのですが,厚みが1センチメートルは超えています.この要領の中に,諸注意から,時刻指定付きの台詞,フローチャート付きのトラブル対処法まで詰め込まれています.
他に,大学ごとに当日の教室配置や受験番号リスト,トイレの場所なんかを記載した資料も配られます.
これらのマニュアルにはおよそ起こり得るありとあらゆることが書かれている…はずなのですが,配られる方も大学のセンセイなので中には頭の回転が早い人も当然います.説明会では「これこれこういう状況になった場合はどうすればよいですか?」という質問が出るのです.そんな場合,大学の事務職員が「大学入試センターに問い合わせます」と言って質問を引き取り,後日学内メールなどで周知されるとともに,大学入試センターのほうでも Q&A 集を作っているのでしょう,本番直前に追加資料として送られてくることもあります.
またマニュアルにはあらかじめ各試験会場に応じて台詞を入れ替えてくださいという箇所が10箇所以上埋め込まれていますし,訂正や追加内容が後から送られてくることもあります.というわけで,教員は試験前にマニュアルの手動補正を行います.気の利いた大学だと,事務職員が訂正用のラベルを作ってくれて,教員はマニュアルにぺたぺたと張っていくだけという場合もあります.
お弁当が出ません
試験三日前ぐらいになると,受験生もそうですが試験監督者も当日の天気が気になってそわそわしてきます.試験監督者の集合は朝の8時頃に設定されるので,普段雪の降らない地域で雪でも積もると大変なことになるのです.そのために自動車通勤を禁じている大学も,共通テスト当日だけは自動車通勤可能としている場合が多いようです.もっとも雪が積もってしまうと,かえって危ない可能性もありますね.
というわけで,降雪が見込まれる場合,一部の事務職員は試験会場に泊まり込むことになります.また監督者も大幅に早く試験会場に着くように出発しますし,必要に応じて自腹でタクシーを使います.全ては受験生のためです.
いや,そもそも共通テストの監督業務が手弁当なのです.試験監督には僕のようなぺーぺーもいますが,中には日本の宝とも言える大学者だったり医学部のスーパードクターがいたりします.
時計合わせに気をつかいます
さて,早朝の決められた時間に試験場本部に集合し,ひとしきり試験実施の説明を受けたあと,監督者の時計合わせが行われます.時計はNTTの時報サービスにあわせて誤差1秒以内に揃えます.電波時計を持っているからと言って安心してはいけません.電波時計だってずれている場合があるのです.いや,電波時計はずれた場合に修正が効かないので,むしろ電波時計じゃないほうがいいのかもしれません.とにかく「チープカシオ」が最強な気がします.
なお試験2日目になると,早朝の説明会も「昨日はこういう事故がありました」という話になります.もちろん対策は「気を引き締めましょう」です.このあたりはブラック企業と変わりません.(なぜ知っているかと言えば,ブラック企業にいたことがあるからです.)
その後,指定時刻に問題用紙と解答用紙,事務用品一式が試験監督に渡されます.試験監督はだいたい三人一組で,それらを抱えて試験会場へ向かいます.試験中は暖房が禁止されているため,試験会場はあらかじめ事務職員によって暖房が入れられています.また地域によっては試験会場にノロウィルス対策キットが事務職員によって準備されています.
遅刻ルールが複雑すぎます
試験開始時刻になると,試験監督の一人がセリフを読み上げます.あとはセンター試験を受験されたことのある人なら,一通り体験したとおりです.ただし,やはり積雪があったりして交通機関が乱れやすい時期ではありますし,場合によっては会場の雪かきが必要だったりして試験実施時刻そのものが遅れる場合もあります.そして,共通テスト(センター試験)では遅刻者の取り扱いが難しいのです.
一例をあげましょう.
例えば,試験会場が雪に埋もれ,雪かきのために試験開始が10分繰り下がったとします.予定通り到着していた受験生にとっては,試験開始が10分繰り下がり,試験終了も10分繰り下がるだけです.
ここに5分遅刻した受験生が来たとしましょう.この受験生は,遅刻の理由を聞かれます.もし遅刻理由が「寝過ごした」「道に迷った」など本人の責めに帰する理由の場合,この受験生の解答時間は5分削られます.試験開始は10分繰り下がっているので,試験開始には間に合うのですが,わざと5分待たせてから試験を受けさせるのです.
一方で,交通機関が遅れたため15分遅刻した場合,試験開始繰り下げの10分を超えているので,救済措置,例えば別室受験が認められます.これは本人の責めに帰さない理由の場合すべてに適用されるので,例えば電車内で痴漢にあって警察に事情を説明してきたとかでもかまいません.より極端な例を挙げると,大雪で1時間遅刻しそうで,かつ試験開始が2時間繰り下がっていたことを知らずに途中で引き返したとしても,再受験の資格が与えられます.
試験監督はいちいちこのような規則を覚えていられないので,大幅に遅刻した,受験票を忘れた,事故にあったなどのイレギュラーな受験生はいったん試験場本部に行かせます.もちろん試験監督が案内するわけには行かないので,試験場の外にいる連絡員が対応します.
試験監督もトイレに行きたいです
試験中は会場の暖房を止めます.これは騒音を出さないためです.試験監督は適宜受験生の間を巡回することになっていますが,これも足音を立てないようにそろりそろりと歩きます.かつてノートパソコンを持ち込んだ試験監督がいたそうで,受験生から「キーボードの音がうるさかった」と指摘されて発覚し,それ以降全国的に「監督業務に不要なものの持ち込み禁止」が言い渡されました.今ではスマホはもちろん,試験監督に不要なもの一切の持ち込みが禁止されています.
さて,受験生も体を動かせないし,部屋は寒くなるしで,当然行きたくなるのがトイレです.受験生がトイレに行きたくなった場合は,静かに手を挙げます.試験監督が受験生のところまで行き,適切な指示を出したあと,トイレまたは部屋の外の連絡員のところまで連れて行きます.なお試験監督や連絡員もトイレの中まではついていきません.
問題は試験監督がトイレに行きたくなった場合です.そのようなことがないように極力準備はしておくのですが,生理現象には勝てないこともあります.そんなときはどうするのでしょうか.先程書いたのですが,試験監督はだいたい三人一組です.遅刻限度となる試験開始30分以内と試験終了10分前からはさすがに遠慮しますが,それ以外の時間だと若干監督業務に余裕があるので,同僚監督に「トイレに行ってきます」と書いた手書きメモを渡してトイレに行くのです.当然,試験室の外にいる連絡員やトイレにいる受験生と鉢合わせることになるので,若干気まずいです.
厳密に言えば,試験会場で起こったインシデントはすべて記録し,また試験場本部に連絡しなければならないので,試験監督のトイレも報告しなくてはなりません.ただマニュアルは想定していないようで,少なくとも「書け」とは言っていません.いや,想定しておいて欲しいです.
リスニング試験は恐怖です
試験監督が最も緊張するのは,英語のリスニング試験です.2020年から英語民間試験へ徐々に移行することが決まっていたのですが,土壇場で無かったことにされたので,次に述べるような苦労はしばらく続きます.
英語リスニング試験にはICプレーヤーが使われます.昔流行ったMP3プレーヤーと似ているのですが,試験問題しか再生できないようになっています.しかも,一度再生を開始すると止めることは出来ず,もう一度再生することも出来ません.つまり始まってしまうと,受験生も試験監督も止められないのです.
リスニング試験用のICプレーヤーの操作方法は極限まで簡素化されてはいるのですが,それでも受験生は緊張しているし,部屋は寒いしでいろいろ誤操作は起こり得ます.一番多いのは,パッケージから取り出せない,電源が入らないといったトラブルです.受験生がICプレイヤーをパッケージから取り出せなかった場合,試験監督がビニール袋をハサミで切って取り出します.ICプレイヤーの電源が入らなかった場合,試験監督は電池ボックスに挟まれた絶縁シートの引き抜き不良を疑うのですが,絶縁シートを引き抜いても電源が入らない場合はICプレイヤーごと交換します.
中には「音が再生されなかった」と報告する受験生もいます.そして,ICプレーヤーのトラブルに関して,試験監督は受験生の言い分をすべて信じるように指示されています
ICプレーヤーに実際にトラブルがあってもなくても,受験生が不具合を感じた場合,受験生は再試験を受けられます.というわけで,リスニング試験中は試験監督も戦々恐々としているのです.
英語リスニング試験は試験初日の夕方に実施されるのですが,僕が監督をしていた高校で,リスニング試験中に町内放送が流れたことがあります.試験会場にいた監督全員が「ああ,再試験確定か…」と思ったのですが,地元高校生にとっては馴染みの放送だったらしく,特に苦情が出なかったため生活騒音ということになったこともありました.
終わったら打ち上げを…しません
共通テストは2日間にまたがって行われます.2日目の午後は受験生も減ってくるのですが,ゼロではないですし,試験が終わっても業務は続きます.まず解答用紙を指定の袋に詰めたあと,指定のコンテナに詰めて施錠します.通常はそのコンテナをタクシーで事務職員ごと輸送するのですが,離島会場だと船で本土まで運ぶことになります.事務の皆様,本当にお疲れ様です.
一方,共通テストが行われる1月中旬というのは,学生の卒業論文や修士論文を抱えていて,大学教員が大変に多忙な時期でもあります.しかも共通テストが終わるのは日曜日の夜なので,すぐに翌日から学生の指導に復帰するのです.
受験生には存分に実力を発揮してもらいたいのですが,大学入試センターによる教職員の「無茶使い」は改善の余地があると,僕は思います.
試験監督は一切の裁量を持たず,時報に同期したロボットとして振る舞わねばならないのです.これは,クリエイティビティを追求したり,学生に教えたりする大学の教員にとって最も苦手なことです.苦手なことをさせるからミスもおこります.それを「忍耐・根性・努力でなんとかしろ」と言うのでは,我々は先のインパール作戦から何も学んでいないことになるでしょう.
こと受験となると「こうあるべき」という理念が先行しがちですが,受験生も人間,試験監督もロボットに見えるけど人間,裏方に徹してくれている事務職員も人間ということを,この機会に思い出してもらえたらと思って書いてみました.
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では,また来週,お目にかかりましょう.
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