【創刊号】数学と芸術のあいだ

無量大数よりも大きな数に名前をつける試みが「アート」を生み出した
金谷一朗(いち) 2020.12.25
誰でも

新型コロナウイルスが世界で猛威を奮った2020年,ある天才数学者がその感染症で命を落としました.彼の名はジョン・コンウェイ.数学とアートの世界にとてつもない足跡を残した巨人です.今週は彼の偉大な発明をふたつ,紹介したいと思います.

いち,に,たくさん

ブラジル・アマゾナス州のピダハン族は数字を2までしか数えず,それ以上は「たくさん」と呼んでいるという説がありました.「いち,に,たくさん」説ですね.この説の根拠となった調査は,その後の追跡調査によってより驚くべき事実に置き換えられました.ピダハン族は数を表すのに「少し(1〜4)」「もっと(5〜6)」「たくさん」という語彙を使っていたのです.この研究を主導したマサチューセッツ工科大学(MIT)のギブソン教授らは「従来考えられていたのとは逆に『数える』ということは人類が発明したものかもしれない」と論文を結んでいます.(参考文献1)

なお数を表す言葉がないことと,数を数える能力や習慣が無いことは別です.例えば我々は意図的に数えることを打ち切ります.長崎県の九十九島(くじゅうくしま)には実際には208の島があります.しかし「非常に多い」という意味で「99」という数字が使われています.99は極端な例でしょうが「非常に多い」「非常に大きい」を意味する場合に具体的な数字を挙げることはよく行われています.例えば「あなたと付き合う可能性は1万パーセント無い」とかですね.1万パーセントならまだいいのですが,僕はむかし「理論的にありえません」と言われたことがあります.技術屋が一番凹む言い方です.

グーゴル

さて,皆さんが想像する大きな数はどのぐらいでしょう?1万個の蜜柑というと,膨大な量に思えます.1万円というとそうでもないかもしれませんが,1万米ドル(100万円程度)というと結構な金額です.僕は1億トルコリラを100万リラ札100枚で支払ったことがありますが,金銭感覚がおかしくなりそうでした.

昔から人々は,大きな数を言葉にしようとしてきました.漢字文化圏では「無量大数」が有名ですね.無量大数が具体的にどのような大きさなのかは時代によって変わってしまうのですが,現代では1の後に0が68個つく数とされています.つまり

 1(無量大数)=100,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000, 000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000

ですね.これを数学者は「10↑68」と書きます.「↑」はそのまんま「上矢印」と読みます.また紀元前3世紀の数学者アルキメデスは,宇宙を砂粒で埋め尽くしたとしたら,その砂粒は何個必要になるかを計算しています.その結果は偶然にもほぼ無量大数と同数でした.(参考文献2)

無量大数はもちろん常用を意図したものではありません.日本語で意識するのは1兆(10↑12)から1京(10↑16)ぐらいまででしょうか.英語圏で常用するのはビリオン(10↑9)かトリリオン(10↑12)ぐらいかと思います.

上矢印の後ろに大きな数字を書くと,いくらでも大きな数字を思いつけそうです.実際に「10↑100」という途方も無い大きさの数字には名前がつけられています.世界を支配するグーグルの語源にもなったその名前は「グーゴル」と言います.エンジニアが使う関数電卓で扱える数の上限がだいたい1グーゴル程度です.

コンウェイの書き方

John Conway, by Thane Plambeck, CC BY 2.0
John Conway, by Thane Plambeck, CC BY 2.0

人間の想像力はさらにその先へと行きます.例えば,1の後に0が1グーゴル個並んだ数はどう書けばよいでしょうか.その数は「グーゴルプレックス」と呼びます.

グーゴルプレックスを記号で書くには「10↑(10↑100)」と書かなければなりません.数学者はしばしば括弧を省略して「10↑10↑100」と書きます.また真ん中の「10」を省略して「10↑↑100」と書いてしまうこともあります.しかし,これでも数学者にしてみれば耐え難いほど醜い書き方です.同じことを繰り返すことほど,嫌われることはありません.それは美しくないのです.もっと大きな数,例えば「10↑10↑10↑100」あるいは同じ意味の「10↑↑↑100」は上矢印が繰り返し現れます.美しくないのです.

数学者ジョン・コンウェイはある美しい書き方を発明しました.上矢印を横に寝かせたのです.そして,上矢印の本数を,追加の右矢印に添えて書くことにしました.「10↑ ↑ ↑100」は「10→100→3」となったのです.コンウェイは右矢印で繋がれた一連の数字を「チェーン」と呼びました.

そして,コンウェイは永遠の終止符を打ったのです.あらゆる大きな数を表すのに,チェーンは十分強力なのです.チェーンはただの表記法ではなく,プログラムなのです.コンウェイはチェーンを伸び縮みさせる一連の法則を考え出しました.この法則をチェーンに当てはめると,どんなチェーンでも最終的に一つの数字を導き出せます.1グーゴルプレックスつまり「10→100→2」は決められた手順に従って「10→(10→99→2)→1」に「伸びて」から最終的に「1000…(省略)...000」という数字に「縮み」ます.大抵の場合,チェーン表記をほぐして数字にすると,その数字は信じられないぐらい大きなものになれます.

この発明は,コンウェイのもう一つの偉大な発明へと繋がります.

ライフゲーム

コンウェイのチェーン表記は,まるで数式が「生き物」のように伸び縮みして,最終的にひとつの数字になるのでした.

コンウェイは,同じ着想である単純なゲームを考えました.ゲームと言っても,プレイヤーは,最初の一手以降はただ見るだけです.それでもこのゲームは,何かとてつもない秘密を持っているように見えるのです.そのゲームはライフゲーム (Conway’s game of life) と呼ばれています.

ライフゲームは,碁盤があればすぐに始められます.碁石も一種類しか使いません.

プレイヤーは最初に碁石を数個から数十個適当に置きます.これがプレイヤーに許された唯一の主体的なアクションになります.このとき,碁石をどのように置いたかを,方眼紙などに記録しておきます.次に,一組のルールに従って,碁石を追加したり,取り除いたりします.ルールは次のとおりです.

筆者作成
筆者作成
  • 空白のマスの周囲(8近傍)にちょうど3個の石があれば,そのマスに石を置く.

  • 石の周囲に2個か3個の石があれば,その石はそのままにしておく.

  • 石の周囲に石が1個しかない,または全く無ければ,その石を取り除く.

  • 石の周囲に石が4個以上あれば,その石(中央の1個)を取り除く.

第1ラウンドが終了したら,その状態を方眼紙に記録して,第2ラウンドを実施します.ラウンドを繰り返すとどうなるでしょうか.その結果は驚くべきものです.次の動画はライフゲームがどのように振る舞うかを解説しています.

どうでしょう.碁盤の上に「生命」のような現象が見られます.これは改めて「生命とは何か」という疑問を我々に投げかけます.

生命システムというゲーム

コンウェイのライフゲームのルールをもう一度振り返ってみましょう.

空白のマスの周囲にちょうど3個の石があれば,そのマスに石を置く.

これは周囲に3個体がいれば,新しい個体が生まれることと似ています.有性生殖する生命は,性別の異なる2個体の間に新しい個体が生まれるますが,ライフゲームでは(同性の)3個体が集まると新しい個体が生まれることになります.

石の周囲に2個か3個の石があれば,その石はそのままにしておく.

もし個体が家族や仲間に囲まれていれば,その個体は生き延びます.

石の周囲に石が1個しかない,または全く無ければ,その石を取り除く.

個体の周りに一人しかいないか,誰もいなければ,その個体は生命活動を維持できないため死にます.

石の周囲に石が4個以上あれば,その石(中央の1個)を取り除く.

個体の周りに4人以上いても,密度が高すぎて,その個体は死にます.

こう考えると,コンウェイのルールは生命のそれと似ていなくもない.そして,ライフゲームがこの単純なルールから驚くべき複雑なパタンを生み出すように,本物の生命もまた「単純なルールから」驚くべき複雑な社会を生み出しているのではないかというインスピレーションを与えます.

コンウェイの研究は後に「人工生命」と呼ばれる研究分野になりました.そして,アートに強く軌跡を残しました.

人工生命とアート

Christa Sommerer, by V2_Lab.
Christa Sommerer, by V2_Lab.

植物学出身のメディアーアティスト,クリスタ・ソムラーは人工生命研究に強く影響を受けたひとりです.彼女たちは,コンピュータの中に植物や動物たちを育てることを考えました.ある単純な規則に従って,植物が成長し,動物たちが動き回るのです.特徴的なのは,その規則の中に人間とのインタラクションが含まれていること.リンク先の動画では彼女たちの作品紹介が見られます.

成長する植物の動画は,予め作られたアニメーションではなく,その都度規則に従って生成されたものなのです.植物が1年かけて成長するところを数秒で成長させてしまっているわけですね.ドイツ語ですが,映像だけでも見ていただけると雰囲気がつかめると思います.

ちなみに僕のドイツ語レベルは3語だけです.「おはようございます」「ありがとう」「これひとつください」だけで初めてのドイツ(の英語が通じない地域)出張を乗り切りました.

書籍紹介

Amazon.co.jp
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本書には人工生命研究の第一人者池上高志先生と,アンドロイド研究の第一人者石黒浩先生によるエッセイと対談が収められています.池上先生は生命とは何か,石黒先生は人間とは何かという問いに対して,それぞれ異なったアプローチを取られています.僕は石黒先生が言われる「作ることによってはじめて理解できる」という考え方に共鳴します.ここは重要な点です.普段,我々はつい理解してから作ろうとします.でも本当は,作ることが先で理解が後なんです.理解しなくても作ることは出来ますが,作ることなくして理解したとは言えないのです.図で表すとこのような関係になります.

筆者作成
筆者作成

ここの順番を間違えると永遠に理解にたどり着けないんじゃないかと,僕は思います.このような前提知識を持って読むと,本書はより深く理解できると思います.

ところで,僕は大阪大学在籍中にキャンパスで石黒先生とすれ違ったことがありました.足を怪我されていたのか,片足を引きずりながら歩いていらっしゃったので,すれ違い際に「ああ,アンドロイドのほうか」と思って無視してしまったんですよね.数歩先で「あ!イシグロイドはまだ歩けないんだった!ということは,いまのはご本人のはず!」と思いついたのですが,追いかけて挨拶するのも変だと思いそのままにしていました.

あのときは大変失礼をいたしました.

おすすめTEDトーク

コメディアンであり数学愛好家であるアダム・スペンサーが数学愛を語ったトークです.狂おしいほどの数学愛を,オーストラリアアクセントの軽妙なトークで話しています.トークの中に出てくる素数というのは,1と自分自身以外では割り切れない自然数のことで,素数探検はどういうわけか数学者たちの心を掴んで離しません.巨大素数はまさにフロンティアで,発見者はエジプトの未知の墓を見つけたように興奮します.ぜひこのトークでそんな数学者の興奮を感じてみてください.

Q&A

匿名質問サイトマシュマロで質問を受け付けています.普段はツイッターでお返事を書いていますが「ニュースレター読んでます」と入れていただければ,こちらのニュースレターでより長めの回答を書かせていただきます.

今週はこんな質問を頂きました.

金谷先生の専門は,アートとテクノロジーだと思うのですが,なぜその分野がいいのですか?

アート(ラテン語のアルスが語源)とテクノロジー(ギリシア語のテクネが語源)は元々「人がつくったもの」という意味でした.ものや舞台を作ることは僕にとって本当に楽しいことなんです.ぜひ一緒にやりませんか?

あとがき

このニュースレターは2020年のクリスマスにお届けしました.ところで,クリスマスが12月25日になった理由はご存知でしょうか?イエス・キリストの誕生日?いいえ,ナザレのイエスの誕生日は知られていません.ではなぜ12月25日がイエスの生誕祭の日になったのか.それはまた次号でお話したいと思います.毎週金曜日配信の予定なので,次号は2021年1月1日になります.

では,また次の配信でお目にかかりましょう.どうぞお元気で.

参考文献

***

ニュースレター「STEAM NEWS by Ichi」

発行者:金谷一朗(いち)

Photo by Akshay Nanavati on Unsplash

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